<ニューエイジ>復権とは一体なんなのか

ミシェル・ウエルベック出世作となった長編小説『素粒子』のエピローグ。20世紀から21世紀へとミレニアムが移行する只中、20世紀の量子力学によって切り開かれた成果をもって分子生物学を不可逆的に発展せしめた主人公(の一人)ミシェル・ジェルジンスキの偉業を彼の死後正当に評価したことで、その後の生命倫理パラダイム転換に大きな寄与をしたとされる科学者フレデリック・ハブゼジャックの仕事を、更に後年の科学史家が論評しているという入り組んだ話法を取るこの最終章こそは、この小説の持つ汎歴史的且つ同時に脱歴史的ともいえる稀有なダイナミズムを最も顕著な形で伝える部分であろう。

その中に、20世紀後半にかけて興隆を見せたニューエイジ運動について言及する、興味深いテキストがある。曰く……

 

(前略)ハブゼジャックの真の天才的側面とは、問題のありかを見抜く信じがたいほど的確な眼力によって、二十世紀末に<ニューエイジ>の名で登場した折衷的で混乱したイデオロギーを自説のために転用することができた点にある。彼は同時代人で初めて、たとえそれが時代遅れで矛盾した、馬鹿げた迷信のかたまりと思われようとも、<ニューエイジ>は心理的存在論的・社会的な崩壊から生じた本当の苦しみに対応しているのであることを見て取った。原始的経済やら、伝統的な「聖なる」思想への愛情やらといった、ヒッピー運動やエスリンの思想の系譜から受け継いだおぞましい混ざり物を超えて、ニューエイジは二十世紀およびその反道徳主義、個人主義、自由開放を叫ぶ反社会的側面と手を切ろうとする本来の意志の表れであった。それはいかなる社会であれ、何らかの宗教による統合なしには持続しえないという苦悩に満ちた思いを物語っていた。実際のところ、そこにはパラダイム変革への力強い呼びかけがあったのである。(*1)

 

 さて、今現実の2018年、<ニューエイジ>にまつわって何が起きているのかと言うと、恐ろしいほどにこれと似通ったことなのではないだろうか。というのも、少なくとも10年ほど前までは<ニューエイジ>というのは、冷ややかに眼差され、唾棄され、揶揄されるニューレフト運動の残り滓が沈殿した芥として、もはやパロディーの世界にしか息をし得ない歴史的廃棄物とみなされてきた。それが出来してきた70年代と全盛を迎えた80年代を経て、<ニューエイジ>というのは産業としては煌々たる存在感を示しながらも、その耐え難い俗流性や<抹香臭さ>から、<クール>な文化圏からは忌み嫌われ続けてきた。

 ところがである。ご存知の通り今、<ニューエイジ>は当の<ニューエイジ>自身も全く予想だにしていなかったことに、クールなものとしてカルチャーの前線に躍り出てくることになった。

この現象については、これまでも様々な言説が投げかけられ、vaporwave以降の諧謔的批評性がこれを逆転的に評価しただの、高度資本主義社会における(得るべくもない)自己実現の(打ち捨てられた)雛形として、その純粋な異形性が脚光を浴びている等々…様々な理論武装を惹き付けるトピックにもなっている…のであるが、私の思うところ、上記のウエルベックの文章は、これが2200年という時点に書かれたという話法設定も含めて、昨今のリバイバルと通底する<ニューエイジ>復権の精髄があぶり出されていると思うのだ。

 

 かつて夢見られていた<ユートピア>が、20世紀の100年と21世紀の18年を通して、その実現可能性よりも夢想性に回収されていくことによって、あるいはまた、描かれるべき洋々たる未来が洋々<たらない>ものであると文明人のほとんどが痛感するにあたってその効力を著しく減じたことで、人々は未来よりも、我に訪れることのなかった<在りし日>にむしろ憧憬を抱くことになった。これを<レトロトピア>と呼んだのは、惜しくも昨年生涯を閉じた社会学ジグムント・バウマンであるが(*2)、現在の<ニューエイジ>復興こそは、もっとも観測しがいのある最新のレトロトピア運動であると言える。それも非常に先鋭的な。

 啓蒙主義を発端にする近代的個人主義は、人間存在自体を歴史的経験を通して鍛錬されるべき<個>として措定したのだったが、歴史という鍛冶屋が振り下ろす槌の強さには、到底そうした思想上の<個>が抗いきれるものでなかった。だからこそ、政治空間ではリヴァイアサンが、あるいは民族主義が再度召喚され、内的世界ではスピリチュアリズムが再度召喚されることになった。

だからこそ、かつて非物質文明的精神主義の無邪気な発露として生まれたように見える<ニューエイジ>が、アトムたる個人が後期資本主義からの苛烈な攻撃にさらされることになった今日において短い沈潜期間を経てリバイバルしているのだ、という単純な見取りも見いだせるのかもしれないのだが、今起きている現象はどうやらそういった単線的な理解を超えたなにがしかである気がしてならない。

 それにこそは、あの<加速主義>などとも(一見、旧来の思想空間のチャート図からは真逆のベクトルと見えるかも知れないが)歩みを同じくするような、<オルタナティブ側からのオルタナティブの否定>とも言えるような情況が深く関わっている。それを用意したのは言うまでもなく、唯物論的世界観や進歩主義的世界観の座礁であり、近代個人主義、経済上の自由主義や様々な倫理の開放、そうした個別に由来を異にする様々なイデオロギーを単にリベラルという(犯罪的なまでに)大雑把な括りの元で推し進めてきた60年代以降のカウンターカルチャーが露呈している、目を覆いたくなるほどの陳腐化だった。その陳腐がときたまインターネットという空間に発見されるやいなや、連帯や個人主義の礼賛といったお題目は木っ端微塵に吹き飛ぶことになった。見渡してみるがよい、<お花畑>という(便利な)侮蔑語で、そうした題目が毎秒毎秒荼毘に付されている様を。

 そうした時、かつてのニューレフト世代が経年(老齢化)とともに見出した逃避運動とも右傾化ともいえるこの<ニューエイジ>という屍に、ネクロフィリア的嗜好を浴びせかけているのが現代の<ニューエイジ>リバイバルであるといえるかもしれない。我々が、近い過去に<抹香臭い>と揶揄していたデジタル・シンセサイザーの時代がかった音響を好む時、老齢の歯肉から立つ膿漏の臭いに拐かされるように、成し遂げられなかった煌々たる未来が朽ちていく様を諧謔としてわざわざ愛でているのかもしれない。この転倒した諧謔と、あの<お花畑>のどこに、一ミクロンでも共通する地平があるだろうか。これは、レトロトピアを超え、ディストピア感覚の身体化と、それにともなう自覚的な神経麻痺が召喚した新局面ともいえるのかも知れない。だが、そうやって自覚的にさえ神経を麻痺させなくてはならないほど、我々自身が疲弊にさらされ、圧倒的な自由(という名の孤独)への恐怖に苛まれているからこそ、我々はまた、そこに沈潜することによって、それが当初投げかけていた問題をもうっとりと忘却してしまうのだった。今再び起こっている<ニューエイジ>への嗜好には、自己同一性や歴史性の再獲得のために、元来歴史性を否定するところから興ってきたはずの<ニューエイジ>というものに、(オリジネーターが努めて無視しようとしてきたであろうに顕在化してしまった)元来胚胎されていたプレモダンへの回帰という反動を求めていくという二重に転倒したフェティシズムがあるのである。

 

これまで拙い議論を重ねてきた本稿だが、翻ってウエルベックによる上掲のテキストを読む時、現在到来している<ニューエイジ>についての、かように入り組んだ言説状況を見事なまでに活写しているというのがおわかりいただけるではないか。我々は今こうした状況の真っ只中にいる。歴史的基軸と重力圏は複数に渡り、同時代的言説空間においても、左右上下の差なく、ある一つの言説に纏って更にヒューリスティックな言説が取り巻くというハイパーポストモダン状況の中で、ナショナリズムレイシズムなどの単純な反動的趨勢と並んで、<ニューエイジ>が過去から、そして未来から召喚されているということは、時代をなるべく精緻に診断することで少しでも正気を保とうとする人たちにとって、とても示唆深い現象となっている。

 

(*1) ミシェル・ウエルベック野崎歓訳 『素粒子ちくま文庫  2006年 423頁〜424頁)

(*2) ジグムント・バウマン伊藤茂訳 『退行の時代を生きる 人びとはなぜレトロトピアに魅せられるのか』 青土社 2018年

白塗り 4

 次の週、一段と冷え込みが厳しくなり、空気が頬を差すような日の夕方、男はいつもの通り夜学の授業を受けるため、高校の門をくぐった。今日の一時間目は国語だ。普通高校の教師を定年退職したあとも、夜学の教師として教壇に立ちつづける磯島先生が受け持つこのクラスは、多くの生徒達にとって「息抜き」のようなものとされていた。課題となる小説を読み聞かせる磯島先生の声は、朗々としていながらも、どこか水気や張りというものに乏しく、自然主義文学についての今日の授業においては、その声が、私小説的な裏寂しい予感をさらにそそらせるような効能を持って響いている。すると、男の後ろの席に座った例の選手宣誓の沼谷が、ヒソヒソと話しかけてきた。

「ねえAさ、昨日可愛い女子と一緒にいたじゃん。あれ、誰?」

「え、誰って、まあ昔の知り合い」

「いいじゃん、いいじゃん。ねえ、これ1個あげるから詳しく教えてよ」と、沼谷はヤクルトを机の下から差し出し、さも有効な賄賂品であるといいたげに、笑みを浮かべている。男はそれを形ながらにも受け取って言った。「そんな大したもんじゃないって」

「いくつの子?なんか大人っぽい感じでいいじゃん」

「同い年。中学の時の同級生だよ。っていうか、沼谷さんもあの子の事知っているかもよ」

「なにそれどういう意味」

「ほら、沼谷さんが昨日このヤクルト買った駅前のスーパーでレジ打ちのバイトしているんだよ、あの子」

「えっ、そうなの?俺知らなかった」

「というか、僕らのことどこで見かけたの?」

「いや、あの後パチンコやって帰る帰りにさ、喫茶店からチミらが出てくるのをみたの」

「なるほどね」

「詳しく教えろっておい。どこまでいってんの?」そう言いながら沼谷は。右手の人差し指と中指の間に親指はさむ格好をする。

「なにそれ」

「なにそれって、ダメだなAは。あれじゃん、オマンコのことじゃん」。「オマンコ」の部分を殆ど聞き取れないくらいのかすれ声で発音、というかほぼ口パクのような形で表す沼谷。

「ほんとにそんなんじゃないって!」少し声が大きくなってしまった男は、ハッとして磯島先生の方をチラリと確認する。幸いなことに磯島先生は気づいているのか気づいていないのか判然としないけれど、先程から教材となる小説の解説を続けていた。

「この「K」という登場人物は、作者の門下生であった別の作家のことで、腰を悪くして執筆もままならなくなっていた作者の作品の代筆、つまり作者の口述を筆記する役目をおっていたのですね・・・。大正期の私小説家達は、原稿料それだけでは口に糊していくことは、あー、口に糊するとは、職業として食べていくということですね、そういうことは難しく、こうして相互扶助的に仕事や生活を支え合っていたという状況が垣間見れる点でもこの作品は興味深いわけでして・・・えー、つまりこの時代には、作家的自意識、芸術家の自意識の中には、困窮する自分をいかに赤裸々に表現できるかという心性があったわけですが、一方には見過ごされがちながら現代小説の萌芽となるような実験への探究心もあったりと、まあ色々と論じる点はあるわけですが・・・今日はこの辺にして、また次回そのあたりを掘り下げてみようと思っているわけですが・・・」

 

 明くる日の朝は、前日からの寒波がその猛威を増し、その冬一番の大雪となった。男は母と共に寝具店の開店準備をしながら、こんな日には羽毛布団のセットが二三脚売れないものか、などと話すのだった。消防団の詰め所の前には、めずらしく非常勤団員達が朝から集って、気勢を上げながら雪かきを行っている。「ああよいしょー!よいしょー!」という掛声とともに、沿道につもっていく雪をかき分ける。母はその様子を横目で眺めながら、あんなに一生懸命雪かきしても、昼過ぎにはまたつもっちゃうのに、というようなことを独り言のように言っている。その時、二階からトントントンと階段を降りる音。昨年のあの運動会の折に着ていたのと同じミズノのジャージ上下姿の父が、両腕を肩のところでぐんぐんと回しながら一階の売り場まで降りてくる。

「ちょっと。なにやってんの、お父さん」と母。

「おお、おまえ、雪かきは裏の物置の中か?」腕のぐんぐんをやめ、今度は伸ばした片腕を肘に抱えてぐいぐいと伸長させる運動にうつった父は、いかにもやる気に満ちた様子で、そう言った。

「まさか、お父さん、その体で雪かきをしようっていうの?ちょっと、やめてちょうだいよ、もう」

「やめてちょうだいよもなにも、体もなまってしょうがないし、この牡丹雪みていたら辛抱たまらなくなってしまってさ。ざざーっとひとかきで片付けるから、任せておけよ」

「もう、そんなのだからお医者さんからも愛想つかされるのよ、こないだの検査のときだって、どれだけ俺が体が動かせるか分からせてやるって言っておきながら、結局お医者さんに無理するなって怒られてしょげて帰ってきたでしょ」

「だから、体を動かさないから余計に体が鈍る。体が鈍ったら治るもんも治らないだろう」

「もう。無理してすってん転んでも知りませんよ。ねえA、ちょっと危なっかしくて見てられないから、お父さんの雪かき見張っておいてよ」

「雪かきに見張りなんて聞いたこと無いけど、までもお父さんがそんなにやりたいんだったらしょうがないよな、わかった、俺がちゃんと見とくから」と、発奮する父を見ながら少しの嬉しさとともに、男はそう言った。

「よし、来た。A、じゃ一緒にやるか。ざっといっぺんに片付けちまおう」そう言った父の後について物置に生き、木製の柄に、派手すぎる朱色が眩しいプラスチック製のシャベルのついた雪かきを取り出した。

「あれ、一本しか無かったんだっけ?」と男。

「ああ、そういえば緑の方は前の冬の時に持ち手のところがガバガバに壊れてしまったんだったなあ。じゃあ任せとけ。お前はそのへんで俺の活躍を見ていればいい」そう言った父は、朱色の雪かきを、八甲田山の兵隊がライフルを捧げ銃するようなやり方で抱え持ち、店先の沿道へとのしのしと出ていった。

ざくざくっと小気味よいリズムとともに沿道に積もった雪をガードレール側の方へと積み上げていく父。この人が普段床に臥している病人だということは、通り過ぎる往来の人たちからは想像もつかないことかもしれない。

「ひゃあ、こんなに積もってしまってなあ。ここ数年のうちでも稀じゃないか、こんな大雪は、ひゃあ、こりゃ大変だ」

 父は、自らの肉体へかかる久々の負荷を楽しんでいるかのように「大変だ、これは大変だ」などと言いながらせっせと掻き出し続ける。一塊の雪が道端に次々と積み上げられていき、みるみるうちに店前には元のアスファルトの肌が露出してくる。文字通り雪化粧を剥ぎ取られたその表面が、あられもなくそのザラついた質感を晒す。ほぼ休みなく一息に作業を終えた父が、店先から道路を満足そうに眺めやる。灰色の路傍。ガードレールの濁った白色と、雪の済んだ白色。男は父をねぎらう言葉をかけようとするが、こんもりと積もった成果を見遣り実に満足げな様子で佇む父の姿を、今は少し傍らでじっと眺めていることにする。

 その時。「あ!Aくーん!」道向かいに立った鯉山さんがこちらの方に手を振っている。赤いスタジアムジャンパーにくるまれ、一昨日よりも一層に厚着をした彼女の姿が、白く塗り立てられた世界の中で、まる中空の赤信号のように鮮やかに浮かんでいる。

「あっ!鯉山さん、こないだはどうも」

道を挟んで行われるそのやりとりによって、ようやっと路傍の雪山から目を離し、キョトンとしたような顔を父は男に向ける。

「中学の時一緒だった鯉山さんだよ」男は父に応えた。

「あら、鯉山郁子と申します!え!?あ!?こ・い・や・まです!そうです、はい!」鯉山さんはガードレールに身を乗り出すようにして、父に声を届けようとする。

「コイヤマさん、ね。どうだい?もし急いでなければあったかいお茶でも、ほら、店の中で?今おれたち雪かきが終わったところでね!」父もガードレールに尻を置いて横ざまに身を乗り出すようにして鯉山さんへそう言った。

「ちょっと、お父さん。…ねえ、鯉山さん、仕事に行く途中なんだろ?」男は突然の父の誘い文句に驚きながら言った。

「いえいえ!今日はお休みで、これから少し買い物にいくだけだから。うん、せっかくだから呼ばれようかな」

 

 開店準備を進めていた母は突然の「息子の友人」の来客に驚きながらも、こまごまとお茶請けを出してみたり、座布団を出してみたりしている。

「ほんとにもう、散らかっててスミマセンね…あらあそうだ、ちょうど、お茶っ葉切れちゃっているんだわ。出がらしじゃ悪いわねえ。せっかくなのに。あ、そうだわ、昨日作っておいた甘酒があるわね。それでいいかしら、鯉山さん?」

「突然済みません。どうかお構いなく・・・」店先の小上がりに座らされた鯉山さんは、身を捩るようにしてせせこましく動き回る母に声をかける。今や赤いジャンパーを脱いで、その下に来ていたやや寸足らずな白いとっくりセーター姿となった彼女がその身を捩るたび、そのセーターの白とまるで面を連ならせているように色素の弱い腰のあたりの肌が、なめらかに覗く。黄土色と黒のチェック柄のウール地の厚いスカートは、そうやって腰掛けていると、先程よりもその丈を短くしたように収縮し、皮膚の下でほんのりと血の赤みを帯びた膝小僧を、ちょうどもう少しで隠しきれていない。甘酒の到着を待つ間、鯉山さんは父と、街のどの辺りに住んでいるのかといったことや、ご両親は?、中学の時のクラスは?今日は何を買いに行く途中なの?などと一通りの世間話をしている。その間、男は、彼女が脱ぎ捨てた毛糸のマフラーと、いかにもふかふかしたファーがあしらわれた耳あてが、スカートの太ももの上にこじんまりと鎮座しているのを見つめている。ファーを束ねているプラスチックの部分に、猫のアニメキャラクターがあしらわれたその水色の耳あてが、彼女の年齢からすると少し子供っぽいものに思われてきて、そして同時に、ふと、その耳あての下にある柔らかそうなスカートと、更にはその下の白い皮膜へと思いを馳せていた男は、自分がそういった想念に遊んでいたことを少し驚くとともに、その想念から逃れるように、彼女から目を離した。

「あら、今日は甘く作りすぎてしまったわね」甘酒をすすりながら母が言う。

「いえ、とっても美味しいです。私は好き」

「もっと飲んでいっていいんだよ。しかしAのお友達にこんな麗しいお嬢さんがいるなんてなあ。こいつはほら、むっつりしているやつだから、家の中でもそんな話は一切しないしな。それに夜学じゃあ、周りはヘンなやつばっかりで、あんたみたい友達なんてあそこじゃ出来る見込みもないしな。あははははは」

父は男を冷やかすつもりなのだろう、実に楽しそうにそういって甘酒の入った湯呑みを両手で大事に抱えている。

 ストーブに暖められたトロリとした空気が室内に漂う中、そこにいた皆が少しの沈黙を楽しんでいる。ストーブの上でチンチンと鳴る薬缶の音。雪遊びでもしているのであろう、遠くから聞こえる児童たちの嬌声。膝の上に支えられた湯呑みへ、体を曲げながら息を吹きかけるている、ふうふうという彼女の吐息の音。しばらくして耳をくすぐるようなその静寂の甘さが、恥じらいに取って代わられる頃、男が口を開いた。「・・・でもお父さん、さっき彼女も言っていた通り、一昨日ばったり、しかも久々に会っただけなんだよ。友達だなんてそんな」

「友達だよなあ?」父は男には答えずに、さっと鯉山さんに向き直って言った。

「ええ、そうですね、友達です」湯呑みの中を覗き込むようにしながら言ったその瞬間の彼女の表情は男にはうかがい知れなかったが、その声には少しの笑顔が孕まれているようだった。

「もう、鯉山さんが困っているじゃない。ごめん」と男。

「ううん、全然。A君っ家って、楽しいね」

白塗 3

 あくる年のその日は、冬の眠眼からお天道が気まぐれに起き抜けてきたように、陽の光が冬の靄を優しく包み込む穏やかな一日だった。男は寝具店の定休日である水曜日を利用し、日用品を買い求めに駅前のスーパーへ向かった。スーパーへ着くと、売り場を往来している人たちがどんなものを買っているかをぼんやりと眺める。水曜日になるとこの店でよく遭遇するあのおじいさんはいつもカゴいっぱいに惣菜を詰め込んでいる。幼い男の子を連れた女性は、その子にねだられる駄菓子の内容物がいかに体に悪い成分かといったことを独り言のようにつぶやきながら、いやいやする男の子を背中に、明日以降の食卓に必要なものをカゴに入れていく。夜学の同クラスで、件の運動会の際に選手宣誓を行った沼谷にバッタリと出くわす。男は軽く会釈を交わしながら、沼谷のカゴの中を一瞥すると、菓子パンと相当量のヤクルトドリンクがあった。授業中こっそりと机の中に隠したヤクルトをとりだしては飲んでいる姿を幾度となく目撃したことがあったけれど、なるほどこの店で補充をしていたのか。一通りの品物をカゴに入れながら、自らのカゴがどのような傾向を示しているのかを、それまで他の客たちのそれを見つめていたのと同じ仕方で、考えてみる。洗濯洗剤、トイレットペーパー、マヨネーズ、ブロッコリー、豚バラ肉。そういった品目を、水曜日の夕方のスーパーで買い求める自分と同じ年嵩の見知らぬ男性の生活がどんなものなのか、ぼんやりと思い描こうとしながら、レジへ向かう。

 平日のこの時間帯ということもあるのか、4つあるレジはどこも混雑している。並んでいる客たちのカゴの中の物量を比較しつつ、おそらく最も早く自分へ順番が回ってくるのは一番左の4番レジだろうとあたりを付ける。

 その時男は、町立中学校で同クラスだった鯉山さんが、スーパーの制服姿で4番レジ台の前に居るのに気づいた。鯉山さんと男は在学中もさして会話を交わす機会があったわけでなく、また、時折交わすことがあったとしても、化学や家庭科の時間で同グループになる回数がやや頻繁にあったときくらいだったし、それにそんな時の話題といえば、授業の内容についての他愛のないものだったし、ときおり化学室や家庭科室からA組の教室へ一緒に戻る時に昨晩のAMラジオ放送がどうだったとか、要するに変哲も他愛もないものであった。けれどある時一度だけ、駅前で待ち合わせをして、このあたりの商店街へ家庭科の調理実習の材料を連れ立って買い出しに行ったことがあったのを、男はこの時、思い出した。たしかあの時は、切り干し大根と味噌汁という題だった。そう言われてみれば、その時二人で訪れたのも、このスーパーだったのではないだろうか。

「マヨネーズ一点、ブロッコリー一点、豚バラ肉一点・・・」

バーコードリーダーをかざしながら、そうやってレジをくぐる商品を1個1個声に出す鯉山さん。

「牛乳一点、トイレットペーパー一点・・・」

「あの」

「合計で1560円に・・・」

「あの」

「はい?」

「鯉山さんですよね?」

「はあ」

「あの、第二中で一緒だったAです」

「あ・・・ああ!Aくん!」

「久々だよね」と男は支払いを財布から取り出し、レジ横のプラスチックのあの小さなプールのようになったところに乗せながら言った。

「うんうん。3年の時一緒のクラスだった・・・えっと、1600円のお預かりですので、40円のお返しです」男から受け取った会計をレジ本体に収めて、反対にレジかお釣りを拾い上げて男に渡す。

「あ、仕事中にごめん、いきなり」

「え、全然。でもごめん、お店も混んでいるのでまたあとで」

「あ、う、うん」

 男は買い求めたものをビニール袋に詰めながら、「またあとで」というフレーズが頭のなかで妙に反復されてくるのを感じていた。久々に会った鯉山さん。レジに立つ彼女。「またあとで」の「あと」が、もし「後日どこかで」という意味ではなく、例えば次の休憩時間とか、すぐあとのことだったとしたら。いや、そんなことは無いだろう。普通に考えれば、こういうシチュエーションの場合における「またあとで」というのは、社交辞令的な「いづれどこかで」という意味が一般的だろう。でもそうだとしたら、「またあとで」ではなく「またこんど」とか、「またいつか」という言葉の使い方をしないだろうか?だとしたら、「そろそろ体が空くからちょっとそこで待ってて」という意味にも解釈できないだろうか?豚バラ肉をビニール袋へ入れながら、はじめは半ば遊戯的に考えていたそんなことが、何やら切迫した問題に思われてきた。もしも「ちょっと待ってて」というつもりで鯉山さんが言ったのだとすれば、なにも言わずに店を辞去するのは、偶然とは言え久々に再開したという状況に鑑みて、あまりに礼を失する行為になりはしないだろうか。そんなことを逡巡するくらいなら、当の鯉山さんへさきほどの真意を尋ねれば良いものだが、4番レジには先程にもましてお客が列を作っているし、なによりも、「さっきの「またあとで」というのは、「すぐあとで」ってことかな?」などという質問をするというのは、すこし常識はずれというか、正直怪しげな印象すら与えかねない感もあり、妙にマゴマゴとしてきてしまうのだった。どうしようかしらと思いつつも、今日はこの後に特段急ぐべき用事も無いし、なんとなく鯉山さんの様子を伺いつつ、それとなく店内をもう一周してみることにする。調味料の売り場に並ぶ香辛料の成分表を眺めたり、季節外れのアイス売り場で、その色とりどりのパッケージデザインを閲したりと、妙な具合で生じてしまったこの無為な時間を過ごしていると、店名の入ったオレンジ色の前掛けを外しながら、鯉山さんが男に近づいてきて言った。

「お待たせしてごめんね」

「あっ」

「何?「あっ」って」

「いやその、なんでもないけど」

「本当に久々だねえ。せっかくだし、時間あればどっかお茶でもいく?」

「もういいの?仕事は?」

「うん、今日は早番だったから、もうこの時間で終わりだから」

「そっか、俺もこのあとは別に予定無いし、せっかくだし、そうしようか」

「オッケー。じゃ、事務室に言ったら荷物持ってすぐに戻ってくるから。お店の入り口でちょっと待っててもらっていい?」

「うん、了解」

 

 鯉山さんは、中学卒業後は、隣町の商業高校に進み、そこで簿記資格を取得するべく学んでいるのだという。出来れば大学にも進学して、都会に一人暮らしもしてみたい。家族は4人家族で、母と父と、大学生の兄がひとり。スーパーでバイトしているのは自らの小遣いのため。趣味は映画を観ること。Aくんは映画みる?そうか、スクリーンっていいよお、グオーって引き込まれちゃう。友達は多くも少なくもなく。商業高校だから女子率高いよ。女子からけっこうモテる方で、こないだなんて部活の後輩から、あ、部活はソフトボールね、なんかラブレターみたいなのをもらっちゃった。ベタじゃない?最近は親と進路のことですこしブツかってて。昨日もケンカをしてしまった。簿記の資格取ったら、地元の会社で経理で雇ってくれるところもあるだろう、何も一人暮らしにあこがれて大学に進学する必要もないではないか、と訊けば、いや、今の時代、新聞やテレビでもやっている通り、女性の社会進出は大きな流れになってきているし、オフィスレディとしてバリバリ働くのにも憧れるなあ。お嫁さんになりたいとかなりたくないとかはよくわからない。

 何故久々に会った自分にそこまで饒舌に語るのだろうかということを不思議に思いながら、男は彼女のよく動く口を見ていた。中学校のときより一層短く整えられ、快活そうな印象を更に増している。短髪。話しながらもよく動き回る両目は、ときおり話の要点に差し掛かったと同時に男のことをキリッと見つめる。大きくも小さくもないその目には、本人が曰くの通り「コンタクトレンズに挑戦しているんだけど、目にあわなくていつもゴロゴロしている」からなのか、通常よりも多めの水分が湛えられている。細く尖った顎の先に少し赤みのかかったニキビがあって、時折、右手の人差し指でそれに触れてみたりしている。そしてその上には、やや薄めながらほのかな肉感を感じさせる、瑞々しい唇。

「ベラベラごめんね。なんか最近全然中学の時の知り合いとか会えないからサー、色々喋っちゃった」

「全然」

「Aくんはさ、今どこの高校に行ってるの?」

「おれは実は夜に定時制にいっているんだ。前からお父さんの具合が悪いから、お店を手伝うわなくちゃだったりして」

「へーそうだったんだね。それじゃ大変だね」

「まあでも慣れちゃえばね。クラスには変なやつらもいっぱいいて面白いよ」

「へーそうなんだあ。なんか大人な感じだね」

「いやそういうわけじゃないけど」

彼女は、溶けてすっかり小さくなってしまったオレンジジュースの氷をストローでコロコロといじり、それを見つめる。

「あ、そういえば前にパートのおばさんから聞いたんだけど、去年夜学の運動会の時、面白いことあったんだってね」

「なに?」

「なんか、ハードル走のときさ、狂犬病のノラ犬がグランドへ入ってきて、みんな逃げ回ってレースめちゃくちゃにした挙句、先頭を走っていた選手と大衝突して、その人もんどり打って大怪我しちゃったらしいよ。アハハハハ。でも「アハハ」じゃないよね、こわいよね。それ、Aくんも見てた?」

「あ…見てたっていうか、それ、俺だね。その先頭走っていたの」

「えー!ホントに?怪我とかもう大丈夫なの?噛まれなかったの?その犬に」

「怪我もしてないし、噛まれてもいないよ」

「すごい!A君、不死身じゃん」

「だからそうじゃないんだけど」

 スキャンダルの当事者の思いかけない登場にすっかり爛々と目を輝かせている鯉山さんに、男は苦笑せざるを得なかったけれど、なぜだか巷であの日のことがそんな大げさな話になっているということへの戸惑いもありつつも、むしろ不思議と自尊心のようなものをくすぐられるような思いもし、悪い気はしない。

 「しかし、あの、Aくんがねー。中学の時は・・・変な言い方だけど、地味系だとおもっていたのに。すごいじゃん」

「いやあ、まあ…あれは別に事故みたいなものだから」

「ねえ、逆にさ、私のことはどう思ってた?中学校の時」と、鯉山さんはコップの底に残った氷の溶けた水を、ストローを使わずコップから直接サッと飲み干して、言った。男はその問いかけに答えるのに少し時間を要しつつも、言った。

「うーん、どうって、まあ、元気な子だなって」

「でた。「元気」かあ。大人っぽいな、とかそういうのは思ってなかった?」

思えば普段はこうして同年代の女子と話をする事自体も稀な男は、どう答えていいか分からず、彼女から目をそらして、喫茶店の奥の壁かかっている、恐らく素人仕事であろう変哲もない田園の風景が描かれた水彩画を見やった。すると鯉山さんは少し意地の悪そうなけれど、相変わらず水分をたっぷり湛えた目をして、言った。

「わたし、昔から、同世代の男子って話あわなくてさ。A君はちょっと落ち着いている感じだから、わかるでしょ」

「落ち着いているのかな、自分では良くわからないけれども」

「そうだよ、落ち着いているよ。私の彼氏、S大の4年生なんだけど、彼と比べてもなんかそんな変わんない気がするっていうか」

突然の「彼氏」という単語の登場にすこし戸惑いながら、男はただ「そっか」と言った。

白塗 2

 男は西松町に寝具店の一人っ子として生まれた。父は男が幼い時から病弱で、男が地元の中学を出る頃には日がな一日病臥する生活を暮らしていた。だから、男は高校へ上がるなり夜学へ通いだし、昼間はよく家を扶けた。そのころは母も店にたっていて、二人で仕入れ台帳とにらめっこをしたり、珠に訪れるお客(大抵は老婆だった)の相手をしたり、お客のないときは店内を箒かけしたりした。西松町駅の南口ロータリーを起点にして伸びる商店街の中ほどに構えられた寝具店からは、斜向かいにある朽ちかけた消防団詰め所の粉吹きしたような屋根瓦に西日が落ちていく様がよく見えた。男と母は、夏の時分であればその詰め所の屋根瓦に橙色の西日が照りだした頃、冬の時分であれば屋根瓦からすっかりと日の名残りが消えてしまった頃をみて、店を閉める準備をするのだった。

 「お母さん、もう店じまいしようか。今日も閑古鳥だったね・・・。ええっと、売上は、枕カバーが5つと、竹の布団タタキ1本、防ダニ脱臭剤2つと、子供用タオルケット2枚とで、合計の金額が・・・」と男が売上表に一行一行ペンで丁寧に書き込んでいく。

 「この時期にしちゃあ出たほうよ。毎日が毎日引越しシーズンだ衣替えだって時期のようには行かないよ」母はシャッターを店の中からソロソロと閉め、男へ振り向きながら言った。

 「お父さんが店に立っていた時は、ずいぶんと布団セットや毛布とかが売れていたって言うけど、もうこの西末町に住んでいる人たち全員が布団や毛布を持っていて、そういう大物は必要無いのかもね」

 「どうだかね。お父さんの啖呵売りの効果もあったんだとおもうんだけれどね。あ、そろそろ食事の準備をするから、お父さんの様子を2階へ見て来なさい。今日は餃子」

 「うん。わかった」

 

 一家は寝具店の2階を日常の居間として使っている。そのいちばん東側の6畳間が父の病臥している部屋である。その部屋の窓はベランダに面した大きなサッシ式のもので、母が昼間にあわただしく洗濯物を干しに出たり取り込んだりと家の中でも交通量の多いこの部屋を、病気療養のスペースとするのはいささか善策といいがたい。それでも父は、その大きな窓から空を見たがった。その時分の商店街には背の高いビルディング型の建物の無かったせいで、ずっと伏している父の姿勢からは空が広く、よく見えたのだった。斜向かいの消防団詰め所の屋根瓦も、ここからなら一階の店先よりもよく見えた。

 「お父さん。そろそろ晩ごはんになるよ。起きてこれるかい?」

 「うーん。おまえか。今日も昼間だというのによく寝てしまったなあ。こんな陽気の時期もあとすこししか続かないと思うと寂しいよな」

 「今日は餃子だってさ」

 「餃子かあ。久々の好物だな。ニンニクもたっぷり入れてくれよ」

 「うん、そうしてもらうよ。精がつくね」

 

 病気の調子の良い時には、父は布団を出てダイニングまでやってくる。持病で肺が弱っているのに加えて、このところは長年の病臥生活で床ずれに罹りはじめていて、食事の時は少し無理してでも椅子に座って採るようにしている。

 「好きだな。餃子」今日はよく休んで食欲があるように見える父。

 「たくさんあるからね。どんどん食べて元気をつけてくれなきゃあね。」母も、父の身体の調子が良さそうな日は、嬉しそうに話す。

 「マヨネーズは?」と父。

 「ええっ?餃子にマヨネーズ?」と男。

 「餃子っていうのはな、知っているか、完全食っていうんだよな。いろんな栄養が一個の中に全部入っている。これを更にマヨネーズにドボン。こうすると超完全食だ」小皿に盛ったマヨネーズに餃子を浸し、父は得意気だ。

 「お父さんの味覚っていうのは昔っからわからないもんだよねえ。病気しているっていうのにそんな塩っ気ばっかりとって」心配をするような素振りながらもよく食べる父の様子に笑みを母が浮かべながら言った。

 「そういえば、お父さん。来週の土曜日に高校の運動会があるんだけど、調子が良かったら来てみない?今ちょうど授業の合間で練習をしているんだけど、夜間の連中だからみんな気性もバラバラで、ちょっとした見ものになると思うよ」と男。

 「へえ、そうなのか。身体と相談してみるかな」無精に伸びてしまった口ひげに付いたマヨネーズをふきんで拭いながら父が言った。

 「お父さん、もしかしてあなた、見に行くんじゃなくて参加するってつもり?」母が先ほどの調子から一変、不安そうに父に訊く。

 「おう?そのつもりだよ。こいつが小学生だった時分の運動会じゃ、父兄対抗リレーのアンカーまでつとめた俺だからな」

 「ちょっとお父さん、夜学の運動会には父兄対抗戦なんてないよ。父兄なんてのが居ない連中だって沢山いるんだから、学校の方も気遣って生徒だけの開催なんだな、多分」放っておけばその場で屈伸運動でもしかねない父を制して男は言った。

 「なんだつまんねえのな。でも見に行けたら行くよ。お前は勉強はできるんだろうけど運動となるとからきしだものな。俺が見に行ったら気張ってやるように」

 「うん。でもまあムリしないでね」

 

 週間の天気予報では雨天が危ぶまれたその土曜日だったが、運動会当日には雲一つない晴天となった。といっても夜学の運動会なので、抜けるような秋晴れの青空ではなく、満天の星空。そろそろ肌寒くなりつつある空気が、普段は履かないトレパンからむき出しになっている白い脛に心地よい。夜間開催ということもあって、近隣への配慮から高校のグラウンドでなくそこから1キロメートルほど離れた河川敷にある町営グラウンドを貸しきっての開催だ。教員や生徒などがそろい、スタンドのナイター照明が煌々と照らされると、それまで空一面に広がっていた星々がその光度を弱めた。

 

 「選手宣誓〜!われわれはー!スポーツマンシップに、の、の、乗っとり〜!正々堂々と闘いぬくことをここに誓いますー!(誓いますー!)」

 かつてヤンキーグループとのいざこざが原因で普通高校を退学になり、18歳になって夜学に再入学した、同窓の沼谷が宣誓を告げると、どこからともなく「誓いますー!」のこだまが起こる。男の父も例外ではなく、出場しないくせに高らかに宣誓に応じている。出場しないくせに母にせがんで箪笥の奥から引っ張ってもらって来てきたミズノ製ジャージを着た父は、久々に夜風を肌に感じながら、いつもより少しだけ若返って見える。

 「お父さん、僕が出る競技はまだまだ先だからテントのあたりにでも座っていてしばらく休んでいてよ」

 「そうか。俺の出る幕はまだまだ先か。出場はしないから、応援だけだけどな」

 「うん。あまり無理せず、みっともないから静かにしていてくれよ」

 「お母さんみないなことを言ってくれるな」

 運動会は100m走、400m走、走り幅跳び走り高跳びとつづいて、いよいよ男の出場種目である200mハードル走を迎えた。スタート位置に向かう男に父がミズノの上着を振りかざして合図を送っている。どうやら、この位置から辛うじて読唇するに、もし下位に甘んじることがあれば小遣い減額だと言っているようだ。そんな父の浮かれきった姿が周囲にどう写っているのやら、男は恥じらいを感じながらスタート台に足を載せる。

 「よーい。ドオン!」夜間を憚ってのピストル代わりの教員の掛声が、短く刻まれた「ドン」ではなく、だらしなく「ドオン」であったために男を含めた二三名の選手がタイミングを取りはぐれ、ギクシャクした足取りでのスタートとなった。スタート直後に身体一つ抜きん出たのは先程選手宣誓をした沼谷。一歩一歩足を進めるたびに顎があがり膝も空を切る。小型車がウィリー走行をしているような格好になりつつある沼谷は200m走り終えるまで首位を守るのは難しいだろう。案の定、最初のハードルに差し掛かる時、前方へ傾斜を付けて飛び抜けなければならないところを、ほぼ上方と言って差し支えないような角度で飛び上がってしまい、着地と同時に臀部をハードルに強打する始末。「ぐっ!」

 次いでトップに立ったのは、30歳で大検をとるために夜学に通っている島本だ。彼は身長190cmでいながら体重60kgという非常な痩せぎすで、ハードルを越え越え走る姿はまるで巨大な授業用のコンパスが何度も開閉を繰り返しているよう。しかし、その独特の角ばったランニングフォームが災いしたのか、4つ目のハードルを見事向こう脛で蹴りあげてしまいもんどり打ってその場に倒れこむ。「いってえ!」

 さてそんな阿鼻叫喚にギャラリーがやんやの喝采をあげる中、その二人を差し置いて今度トップに立ったのは、まさしく男だった。生まれてこの方、保育園でも、小学校でも、中学校でもこうした運動会で一等を取ったことのなかった彼はこの珍事の出来にどう対応していいやらの体。ただひたすらにがむしゃらに走りまくり、残りのハードルが2台のみとなった時、チラと後方を振り向くと、後ろにつけているのは、その頃花盛りだった地元の暴走族「レッドキング」で旗振りを任されている意気盛んな17歳の竹中だ。なかなかのスタートを切っていた彼だったが、重度の喫煙癖に心肺が悲鳴を上げているようで(じっさい「ひゅー!ひゅー!」という珍妙な音を口から発している)、ここから男に追いつくのはできなそう。

 そこからのことは、男にはスローモーションで記憶されている。そういうことが起きたということがよくわからないまま、「良くわからない」という感情のまま記憶されている。あれはジョンだった。町を分断する河にかかる、河川敷グラウンド近く西松大橋の麓に住むルンペンのしげちゃんの飼い犬(法的には飼い犬ではないが実質上飼い犬だった)の、雑種で狂犬病(とされていた)ジョンが、ゴールの先彼方から、男めがけて一直線に走り迫ってくるではないか。その目はまるで、これまで山里で人二三人は殺めてきたような狂気的な印象を湛え、口からは大量の唾液と異様に長く赤い下がベロンとたれ、一歩一歩男に走り寄ってくるたびに柱時計の振り子のように定期的なリズムとともに揺れている。男は思った。ジョンよ、お前の標的はなんだ?教員や出番前の選手たちがつまんでいる斗々屋の仕出し弁当か?それとも自分の後を走る、竹中か?それとも自分なのか?

 ジョンの軌跡と男の走るレーンが見事一直線上に並んだ。ジョンは弁当にも他の選手にも目もくれず、男にむかって一直線で駆けてくる。このまま行くと大衝突は免れないであろう状況だ。男とジョンの目がしっかと見合わせられ、激突の前にどちらが先に進路を変更するかというチキンレースの様相を呈してきている。しかし男としてもジョンと衝突を避けるために立ち止まったりレーンを外れてしまうことは、その瞬間にこのレースでの敗北を意味することであるから、あくまで剛毅に、ジョンめがけて一直線に走り続けるのだった。そう思い自らを奮い立たせるていると、男の脚はそれまでより活力をまして回転するよう。二位以下の選手をグイグイと引き離し、ゴールの方すなわちジョンの方へ更に近づいていく。対するジョンも、闘志を湛えつつも、男の発奮に敬意を表するような練達の勝負師のような透徹した目を湛え、ハードルをくぐり抜けながら速力を上げて男との方へグイグイと近づいてくる。

「ハアハアハアハア!」

「ヘエヘエへエヘエ!」

急遽出来した白熱のチキンレースに、聴衆はやんやの喝采をもってその場のなりゆきに注視する。あと少しで激突するっ!と誰もが思った瞬間、男は一瞬戸惑った。今は頭に血が上っているだけなのか、こんな運動会のハードル走で一位になったからといってなんなんだろう?野犬のジョンともんどり打って正面衝突して醜態を演じるくらいなら、ここで一瞬たちどまって「弱ったなあ」という風に観衆の方へむかって苦い笑いを投げるだけで、それだけで良いのではないかな?そう思った間隙に。それまで全速力で疾走して男との激突まで後10メートルほどとなっていたジョンが急にその踵を返したのだった。

「ザッ!」っと格好の良い砂砂埃をたてて、急停止したジョンはやおら体を翻し、それまでの勢いはそのままに、180度のUターンで来る道を疾走し始めた。その姿を見てわっと一瞬歓喜が胸にせり上がってくるのを感じた男は、先程までの威勢を取り戻して「これでゴールまでまっしぐらだ」とおもった瞬間、しかしながら彼(ジョン)が、先程こちらにむかってくる際には巧みにそのゲート部をすり抜けてきたコース上にある最後のハードル台に、高速でそのままぶつかって行ったのだった。「ダン!」という肉と木がしたたかにぶつかる乾いた音がし、その直後にハードルは前方に簡単に倒れ、あたらしく支柱部の金属と地面がぶつかりあう音を立てたのだった。

 スタートのときには間延びしていたはずの笛の音が「ピーッ」と高く粒だった音を上げ、男が1位をとれたかもしれない200メートルハードル走の無効を伝えた。

 こういったときにはよく、その劇的な様子の強調として「一瞬の瞬間があったあと」などと描写されることが多いのだけど、このときはまったくそんなことはなくて、ただザワザワの内容が入れ替わったのみだった。思いがけなく出来した興奮をゆっくりと冷ますかのように、「あーれ大変だ」とか「いやー、わはは」などと散発的に感想とも感嘆ともつかないような言葉を観衆は口にし始めて、男の名前を呼びながら「残念だったなー!仕切り直しだ!それ!」などと激励する。グラウンドの向こう側では、しげちゃんがジョンの1/10くらいの速力でジョンを追い回しながら(厳密に描写するならゆらゆら左右前後へうごくしげちゃんをを中心にしてジョンがその半径上を駆け回る)「くらっ!」とか「この!」とかいう声をしきりにあげているのがわかる。観衆たちも先程までのレースへの注視をすっかりそちらの方へむけて、この突然のトムとジェリーの出現に大盛り上がりであった。

 

 すっかりと夜も更け、町営グラウンドから家へと帰る道すがら、男はまだ少し興奮した体を冷ますように、上着を腰に巻いた格好で、歩いていた。澄んだ空の中、チラチラと明滅する星たちが、少し物言いたげだがそれ以上はせり出てこない、といった様子で静謐な存在感を放っている。小さな町は既に静寂に包まれ、眠りの準備をし終えようとする少し前の子供のように、明かりを落とすのを躊躇いながらも、徐々に床に入っていくようだ。

 「お前、なんでせっかくの再レースに出なかったんだよ?あの調子だったらちゃんと一位になれたはずだろうにさ」息子の真似をしてかミズノのジャージの上を腰に巻いた父が訊く。

 「うーん、一度無効レースになっちゃうと、どうしてもその次も出るっていうのは億劫になってしまって」

 「でもお前、これまで小学校でも中学校でも、お前がスポーツの競技で一位になったことなんてなかったろ。その折角の機会だったっていうのになあ」

 「もう、いいんだよ。ジョンがこちらめがけて走ってきたときは、絶対にジョンを蹴散らしてでも一位になってやろう、って思っていたんだけど、ハードル倒されちゃったときにはなんだか可笑しくなってしまって」

 「何事でも、一度食いついたら離れない。そういう精神というものがどうもお前にはないんだよなあ」

 「おれだってそれは一位になりたいと思うけど。でもそれってハードル走って括りとそれにくっついたルールがあるからで、その中での一位だから自分にとって気持ちが良いし、追い求めたくなるのかもね。そういうのがなくなっちゃったら、なんで一位を求めるかすらもよく分からなくなっちゃって」

 「そういうのって?」

 「うーん、だから、なにもかもありな状態で一位になっても、それって一位ってことなのかなって」

 「そういうもんかね?勉強でもそうなのか」

 「そういうもんだよ。勉強だって受験とか勉強ってくくりがあるからみんな頑張るんだし」

 「どうも屁理屈に聞こえるけれどな、お父さんには。お母さんはどうなんだ?こいつが一位取れなくて悔しくないのか?」と、それまで二人の会話を聴くともなく耳を傾けていた母に、父が問うた。

 「さあねえ。とにかく怪我がなくてよかったわよねえ。ふたりとも、そんな寒そうな格好して。体に障るから家に着くまでは上着をはおってらっしゃい」

 それまで父子の数歩後を歩いていた母が発したその答えとともに、三人は寝具店の玄関口に着いた。

 

 そんな運動会の秋の一日のから季節はその歩速をぐんぐんと早め、今や西松町の小さな商店街もすっかりと師走に向けて褐色からヴィヴィッドなモノトーンへと彩りを変えていく。男はそれまでと変わらず昼間は寝具店を手伝い、夜は学校へ通うという生活を続けている。一家の団欒の風景もこれといった変化もなく、幸い、父の病状にも悪い兆しは見受けられない。男があの運動会の日のハードル走で一位を取り損なってしまったというあのこととも、徐々に日常の内部へ埋没し、それが家庭内でそれが話題に登ることも、ごく自然な下降曲線を取るような形で、少なくなっていったのだった。

 一体自分は同じ年かさの若者と比して、いくぶん単調で、「あちら側」の価値基準からすればいくぶん「幸せでない」生活を日々送っているのだろうか。何かの刺激もなく、突き上げてくるような内的欲求や目的意識を自分の中を探そうとしても、その探している自分ばかりが気持ちの中で前景化してきて、物を指す先を探しているつもりが、その指先を自分の目をとおしてぼんやりと眺めているような感覚にとらわれることもあった。もちろん、人並みに美味しいものも食べたく、人から注目されることの快さについても知っているつもりだし、その頃よく言われていたような「シラケ」といった感覚とも隔絶したもののように思われる。男は決してシラケてはいなかった。胸の中に何か青春の懊悩とも言うべき苦悶を抱えているという自覚もなかった。そして、何故自分がこの世界に生まれ落ち、そして生きていくのか、そういう不安についても、稀に時間をつぶすために読むだけだけど、いくつかの書物にあたって理解はすることができたが、共感を抱くことも無かった。要するに、男は非常に希少な意味でまったくもって正常だった。置かれている状況や他人の異常さを理解することが出来る、そういった正常さ。思慮と遠慮と良識があったのだ。「人間は、経験を伴ってこそ、はじめて思慮や知性、そして良識と言ったものの本懐を知り、それをもって人間性を発揮・駆動させていくことが出来る」そういうことすら、彼は判っていた。判っていたからこそ、生きることへ簡単に絶望したり、または反対に妙に期待を掛けたりということもなかった。悩みがないことが悩みにもならなかった。悩みがない状態は、かれにとって自然だったし、その自然を享受できるくらいに彼は思慮深かった。

 だからこそ、男はつまらぬ人間だった。周りには、友人というべき、男を一個の捨て置けない存在として接するものはいなかった。また、両親からもそう思われているかもしれない、という男自身の危惧は、危惧では無かったのかもしれない。両親は、男のそういった透徹とすら言える思慮深さを、彼ならではの有力な個性として誇ろうと努力していた。しかしそれは、そう思おうと努力するようにしていないと雲散霧消してしまうたぐいの、儚げでささやかな希望だった。触ると脆い果物の実を手でやさしくほぐし分けるように、そのふわふわとした希望を家族三人で分け合っていた。それは、日々家族が慎ましやかに暮らしていこうとするには、なめらかな手触りの潤滑油として、本来以上の機能性を発揮してくれているようだった。寝具店の窓から、沈む夕日を眺める時、家族の成員一人ひとりが、夕日がするすると無事に地平に潜り込んでいくその抵抗感の無い感じとともに、そのささやかな希望を自らにひきついては、少しだけ本当に自分だけの悦に入るのだった。ただ時間の経過というものが、それが孕む「変化」という性質を漂白され、緩やかげに滑っていく、その好ましい粘性だけを取り残してくれているように。

冬の霧

 その日も、同じように朝起き抜けて、体がしびれてしまうほどの冷たい空気に囲まれていた。眠さの抜け切らない体に清涼を取り込むことで体がようやくわなないてくる、だから冬はそうして、いつも寝間着のままで深く乾いた空気を吸い込む。南に面した土間からは、手入れのまばらな焦茶色と灰色の間のような野菜畑が広がっていて、今日は早い時間から老夫婦が土仕事を行っている。赤襦袢に厚手のウィンドブレーカーを羽織った老男性が、旧い壁時計の針のように、見つめ続けていてはそれが動いていることすらわからないくらい緩慢に、土をいじりながら、僕から見て上手から下手へと、ゆっくり動いていく。そして、傍らに、土をいじる夫に何かここからでは目視するに難しいくらいの細かな何か(作物の種なのだろうか?)を、丁寧な手つきで渡し渡しする老婆がひとり。朝霜が照り返す太陽に目を細める僕には、そうとはっきりわからないのだけど、老婆がこちらに一瞥を寄越したような気もしたのだが。

 

  僕は、風呂というのは朝に入りたい。極端な癖っ毛をもつ僕の毛髪は、仮に前日就寝前などに風呂に入ってしまったら、朝起きた時はまるで頭皮から線虫が威勢よくうぞ立っているような激しい寝癖を拵えてしまったものだ。だから、その日も、老夫婦の土いじりを半眼で眺めながらあくびをしたあとは、パパパと手際よく寝巻きを床に落として、直ぐに浴室へ行くのだった。ところで、なぜ冬の浴室というのは、あんなにも辛く寒いものなのだろう。何か冬というのが漫画的な悪魔の様相でもって、意図的なイタズラとして僕が寝ている一晩中、そこへひどい冷気を注ぎ込んでいたのではないかというくらいの。足の裏にひたっと触るタイル面はきっと、その朝に屋外で自然が作る薄氷の冷たさを平気で上回っているようだし、そもそもその空気の残虐なまでの冷たさ。むかしにみた映画で、沢山の受刑者が体をこわばらせながら、機械的な足取りで大きな浴室へ流れ込まされていく場面があったけれど、きっとこんなような寒さだったのだろう、と思う。

  夏の間には、掃除をすれどもすれども、あんなにもしくこく繁茂していた水カビさえも、もはやこの頃はすっかり沈黙をしている。江戸っ子風呂ということばがあるけれど、それくらいの高温にシャワー温度を設定して、一気に体に浴びせかけたい。でもそれだって最初のうちは水道管とホースに前日来溜まった冷水が出てくるものだから、用心が必要だ。間違って第一水を体にかけてしまった時は、鋭く高い声が自然に上がってしまう。それくらいに、あの第一水は、容赦が無かった。

 

  裸のまま部屋に戻ってみると、ここへきて更に野良仕事に本腰の入ったと思われる老夫婦が、僕の室の方にさらに接近したほんの数メートルといった位置で作業を続けている。土を掘り返しては、また埋めている。そんなことを繰り返している。ばかな土いじりがあったものだ。おそらく、あそこからなら部屋の中で棒立ちする僕の姿はきっとくっきりと見えているであろうに、一向にこちらには関心を示さず、ただなにか二人でもぐもぐとお喋りをしながら、土をいじっている。僕の部屋のガラス窓は、大した厚みもなく、普段なら戸外の音が遠慮なしに闖入してくるはずなのに、なぜだか今日は一切の音が聞こえてこない。老夫婦の口元から会話の内容を読もうとしても、その皺ばって窄まった口の動きからはなかなか読唇がむずかしい。辛うじて読み取れたように思うのは、「もう終わり」という言葉だったような。

 

  僕は裸のまま窓際をウロウロして、彼らの注意を引こうとするのだけれど、相変わらずこちらには気付かない。そんなことをしているのに、風呂上がりの体はちっとも冷たくはなってはくれない。色褪せたフローリングの上でピタピタと裸足で歩き回るうちに、淡い憤怒のような気持ちが起こってくる。こんなアパートの中で毎日を過ごしていた自分が、飽きずに土を掘り返しては埋めしている老夫婦と共に、何か知らない誰だかに取り立てるところのない一区切りの現象として扱われているかのようで癪に触る。僕は裸のまま、窓を開けてみて、老夫婦に向かって「おはようございます!」と大きく声に出してみる。初めてこちらを見遣った老夫婦は、別段驚いた様子もなく、二人揃って同じようによわよわと口元を動かしている。確かに口は動いているのだけど、その声はなぜだか聴こえない。ただ何やらこう言っているようだ。「もう終わりだよ」

  

その時、部屋にうっすらと霧が立ち込めるように、水がタイルに弾かれる細かな音が背後からやってきて、シャワーを止めないままで風呂を出てきてしまったことを思い出した僕は、また再び土いじりに戻った老夫婦を背にして、風呂場へと向かった。タイルの上に横たわった僕の上に、冷たい水が降り注いでいる様子は、みているだけでも寒々しいものだったので、シャワーを止めた僕はまたすぐに部屋へと戻っていった。

絶対零度の社会性

  物質が、その細分単位である分子が、運動をやめて沈黙するときに、温度は絶対零度となる。これ以上低くなりようがない極点として、物質的存在はすべて動きを停止し、停止したゆえの結果として、それ以上には下回ることのない結束点として、超低温をわれわれ観察者に提示する。反対に、高温状態の極点は無限であるとされている。超高温とはすなわち、宇宙開闢のその瞬間より以前、すべての分子が極限的にミクロな一点に収斂していた状況と意味を同じくする。低温には極限があるのに、しかし高温には無限があてがわれているということに、高校理科の知識しかもたないそのときから、何か畏怖と違和を覚えてきた。マイナスへの運動は、最終的には無動としての死を呼ぶ。

 さて、物質の世界ではそのような見取りがすでに確立されている一方、社会的状況論においてはどのようになっているのだろうか。もっと言えば、人文学一般をモダン以降支えてきた、個人に帰属すべき「感情」というものについて議論を敷衍する場合に当たっては、いかなる見取りが可能なのだろうか。一般に、社会の力学系は、社会学的論理・語彙によって記述されるように、ある一定のコミュニティなり、成員の集合における力学関係を擬似自然科学的に記述されることにより、その信頼性を担保しようとする。イエス/ノーという二者択一の二項対立的議論であったり、またはもっと卑近な例で言えば、例えば多数決という、技術論的帰結というべきさまざまな合理主義的理解の帰結的方法論が、跋扈して久しいこのモダン以降の社会にあって、実はぐろぐろと蠢く様々な個人の指向性がそれらに(非暴力的な)回収を見せたということは、既に近代社会にあっては一定の手法的成功を収めている。しかしながら、そういった「民主的」プロセスからどうしてもこぼれ落ちてしまう(本来は民主主義が保証するはずであった)個人に帰結する他はないような極めて個的な出来事に伴う感情の軋轢や跋扈は、そういった民主的プロセスの外縁に置かれることになる。なぜなら、個的状況を波形的に処理しようとする時に、その波形そのものを二次元的に眺め、また技術論的に処理することこそが民主的プロセスそのものを成立させる条件そのものでもあるからだ。そこには、あまりに自明なことであるが、個々の主張や考えにコンプレッサーを加え、その上で観察しうるサインのみを政治的サインとしてすくい取るという、合理化への欲望が前景化された、技術論上の効率主義が存在するからにほかならない。その結論をあなたが導き出すまでに思考された過程よりも、その結果のみを勘案するという、いつでも我々がその恐怖にさらされている、イデオロギーがでんと居座っている。

 そういったコンプレッサー的民主主義=モダン以降の民主主義において、我々は(当然にそのシステムを駆動する側にいる人間も含むわけだが)、違和を表明するその機会を奪われるという経験とともに、違和を感じる心すらも収奪されている。こんな議論はすでに、例えばジョージ・オーウェルの『1984』における個的言語の収奪によるイデオロギー管理を例に出すまでもなく、あまりに頻繁に歴史に登場する悲哀ではあるのだけれど、現代ではさらに、ここへあのインターネットにより高度化された同調への圧力も加わるのだから、なかなかにタフな状況と言える。また、その当然の逆説としては、そうしたコンプレッサー的民主的から逃げ出るように、違和を感じるだけではなくて、なにがしかの政治的な表明すらも(SNSなどを通して)容易い状況にあることも確かであると思う。しかしながら、今日われわれが対峙している困難は、そのような「抑圧されるものもいるなら、どこかにきっと反駁すものもいる」式の、古典的なレジスタンス運動止揚のような次元を超え出て、既にそうした意識すらも、絶対零度的な終末感に苛まれ、運動を止めてしまうような次元に立ち入ってしまっているのでは無いかという疑問をいだいてしまう。

 人にとってはそれは、愛の挫折であるだろうし、全ての存在が表現主体になりうるということから反射的に引き起こされる、表現という行為の価値の失墜でもあるかもしれないし、それに伴う批評言語の滅失であるかもしれない。しかしそれがどのような原因によるものだとしても、自然科学において確固として実証されている、絶対零度状況のおける無運動的沈滞とリンケージを結びうるほどに、強烈な虚無を招来することであるとは、例えば数十年前には、だれが予想し得ただろうか。いま、文化相対主義こそが、停滞というには生易しいかもしれない、運動の停止(それは大きな見取り図を用いれば、全体主義の挫折ならびにイデオロギー座礁新自由主義たグローバリゼーションといった「オルタナティブ」な潮流の失敗、更にいえばあの「マルティチュード」概念への懐疑のなども含まれる)という状況をむしろ加速したのではないだろうかという反省に晒され始めているとき、この絶対零度を融かす特効薬が存在しうるのだろうか、というほどに、我々は思想的疲労に晒されている。自然科学が観察し得た、絶対零度状況におけるその絶対性。すべてのものが動きを止めてしまうという、その絶対性が、まさかこれほどまでに人文的世界にも容易く通用しているのかもしれないということへの恐怖は、それこそがまさに人文学手法である「言葉」では表現が難しいほどだ。

 では、そうした停止・固着状況を融解する熱源は一体何なのか。それさえわかれば、停滞を一気に溶かしてしまうことが出来るのかといったら、決してそうではないとおもうけれども、すくなくとも融雪剤くらいの漸次的な効果を発揮しうるものとして、いまは融和剤を探さなくてはならない。ひとつには、それは「反モダン」としての社会主義的なギルド志向であるかもしれないし、または、文化相対主義の飽和点としてのアマチュアリズムへの反省が促す専門主義の復権かもしれない。またはもっと拙速な論者からすれば、全体主義への回帰かもしれないし、ときにはまたアナーキズムの実践であるかもしれない。しかしながら、今我々の社会は、絶対零度として、それらの揺籃をも無化させるほど、ポストポストモダンとして(過度の流動の結果として)硬直しているかもしれないということへの視点も失ってはならないだろう…。

 さてここに至って、あえて結論めいたことを書き綴るならば、このような状況において、その絶対零度の融解をなしうるのは、ここ最近でも言われてきたようなコミュニティー主義ではないのかもしれないという臆測が頭をよぎってやまないのだ。コミュニティーとは、主体的存在が3名以上寄り集まってそこに形成される、関係性の総体のことであるが、この最低限のコミュニティーですら、今文化相対主義の尺度においては、なにがしかの絶対的規範を広く生成することは本質的には困難である。その困難を軟化させるために、国際的な契約や条例という概念が発達してきたのであろうことに鑑みれば、ひとたびそこに不和が起こるならかえって逆説的に引き続いて引き起こされるのは、ドラスティックな戦争状態か、またはその反射として各々が自己に沈潜しコミュニケーションを放棄する閉鎖主義かの択一となってしまう。これはそのまま社会運営の困難とジレンマを表す寓話でもある。そして、こうした3人以上の主体が登場する場合の、コミュニティー重視的価値を敷衍することで、かえってその3人以下の、2人の当事者間の関係性、ないしは1人それ自身の個人主義的最小世界をも崩壊させうるというのは、我々がすでに学校や職場などで日常的に経験しているような卑近な悲劇でもある。では、こうした状況で、コミュニタリアンをも満足させ、かつ絶対零度的な無動の個人主義に陥ることを回避するためには一体何が必要なのだろうか。おそらくこの地平においては、これまで例証を挙げた3人以上のコミュニティーを保証し温存しようとする爾来の社会意識を越えたものが必要なのではないだろうかと考える。単純な議論を展開するなら、個人が社会における一個のアトラクタとしての苦悩に価値を還元しようとするような、要は結局のこと、ここに存在し、ここに思考する主体としての起源に回帰し、個的に生を全うしようとする実存主義を展開するほかないように思われるのだが、既にそういった哲学の非現実性(どのようにしても、結局現象面おいては人は本質的な意味での実存的生を選択できるほど強靭に孤独に飼いならされてもいないし、アカデミックにそれを信望しつづけるほど酔狂でもない)に鑑みるならば、ここに至って我々は、最小単位的コミュニケーション、すなわち個対個、一人称と二人称の、「二人」という次元を反省的に見つめることしかできないのではないのではないだろうか。これまでデモクラティックな思想を展開してきた、コミュニティーへの献身という題目が、実はこれまで述べてきたような個人の停滞と壊疽を逆説的に引き起こしてしまうのだとすれば、また、絶対的な単位としての「個」への回帰が困難なのだとすれば、実は、残された道としては、一対一のコミュニケーションについて、その理解を、時に反動的な勇気をもって深めていく以外に方策はないのではないだろうか。デモクラティックな発想や方法が、時にコミュニティー内部で、少数者に苦痛と辛苦をなめさせるのではあれば、我々はむしろ、三人以前の、一対一の、二人のコミュニケーションにおいて、様々な軋轢や問題が生起するしまうその瞬間に、反省的に思いを至らせるほかないのではないだろうか。

 愛する人を傷つけてしまう、愛する故に傷つけてしまうとき、僕とあなたの関係には一体何が起こっているのだろうか。信頼と不信がないまぜになって、結果あなたを信じられないとき、わたしの心の中では一体何が起こっているのだろうか。あなたがわたしを裏切るその時、一体何が起こっているのだろうか。一対一で起こるこうした齟齬(もっと一般的なことばで言えばすれ違い)ということが、実は社会全体に起こりうる齟齬や不協の基点として、われわれが想像する以上に重要な意味を持っているかもしれないということに、我々はそろそろ気付くべきなのかもしれない。そこには、個人と社会とが結節する臨界点というべきものが見えてしかるべきなのだ。一見社会的で人当たりのいい人が、一対一の関係においてはあまりに残酷な振る舞いをするといったことなどは、誰しもが日常的に経験しうるほどに、ありふれた事実であるのにもかかわらず、それについて実践的且つ社会的な考察が加えられていることを、これまで寡聞にして知らない。なぜなのか。または、一対一でのコミュニケーションの円滑こそが、実はデモクラティックな社会が想定する「安定的な」社会を用意するということ、そのことは考えて見れれば実に自明のことであるのに、とたん現実生活における一対一の問題になると、二人同士の個的な問題系として社会が無関心を装う。これもまたなぜなのか。われわれは、これまでデモクラティックな甘言のもとに捨て置かれてきた、こうした「一対一」の、一人称と二人称のみの間で交わされるコミュニケーションの、社会全体の基盤をなすファクターとしての重要性を深く再考するべき状況に置かれていると言っていいだろう。三人以上の社会が、二人だけの空間を、極めて特権的に扱ってきた歴史、例えばあの「プライバシー」といったタームが、ときに本来の意味を越権して、一対一の関係性にあるその社会的責任をネグレクトする形で、その自己都合な秘戯性だけを珍重した結果、われわれは本質的にこの社会を成り立たせているコミュニティーというものが、生来的には一対一の関係性やまたそこに存在すべきお互いへの信頼というものにより担保されてるという事実の価値を遙かに後退させてしまったのだろう。われわれの社会に今もたらされつある、この不気味な絶対零度的停止は、実はそういった「一対一」への軽視によって、宿命的に召喚された悲劇なのではないだろうか。

 

この論考は続きます。

曲がり道

 もう一昨年前のことになるけれども、わたしがそれまで8年を越えて住み親しんだ上板橋から、練馬区の関町へ越してきた。以来、職場がそう遠くない方面にあることを理由に、移動をする手段としては自転車を選択したのだった。わりと値の張る(自慢の)ロードバイク式の自転車を所有していた私は、当初には毎日その界隈の大通りである吉祥寺通りを南下する形で、気味よく疾走しながら吉祥寺の方面へ出ていたのだったのだが。早春の、空気に優しい暖かさが篭り始めたを頬に感じられたことは、運動不足だった自分の身体が、そのなにか優しげな空気にほだされていくようで嬉しいことだった。

 吉祥寺通りを駅方面に南下していくとき、家を出てからそのまま幾らかまっすぐ進むと、町名を「立野町」と呼ばれるあたりに差し掛かったところで、緩やかなカーブに出会う。右方面になびいていくその道筋は、自転車を駆る私にとっては毎日に出会う少しの(実にほんの些細な)スペクタクルだった。少年の時代によくしたように、自転車をすこし行くべき方向に傾ける。ハングオンしていく。この曲がり道は、自転車を巡航する速度をとくに緩めさせるでもない。頬に触る風は、むしろつつがない一本道の場合より、こういった仄かなカーブのときこそ、心地よさを運んでくる。右頬へなびいてくる風は、わたしがその時新生活を始めたのだという実感を、そっと運んでくれたのだった。

 その後、とても情けないことに、その自転車移動の生活が災いして(医者の言うとのことによると、ロードバイクというのは、常に前傾の運転姿勢を保たなくてはならないために、それを日常的に乗りこなすには極めて腰と周辺部位に悪い乗り物らしいのだ)、ヘルニア病を患ってしまった私は、渋々に主な移動を徒歩に頼る生活となった。じっさい、そのあたりから吉祥寺駅まで出るには、徒歩移動ではなかなかに骨の折れる距離であって、歩くことを決断した当初直後は、自分の身体の脆弱さを呪詛したりした。なんでこんな距離を歩かなきゃならないんだ…。

 そんなある日だったか、わたしは夜、吉祥寺駅からの関町への帰り道を歩いていた。そのころは、まだまだこのあたりの生活に新鮮で快活な興奮を覚え、夜な夜な吉祥寺周辺の居酒屋だとか、飯屋だとか、そういうものへ通い通いしていたこともあり、その日もかなり日が落ちてから深くなった時間だったかと思う。駅からゆらゆらと北上し、四軒寺交差点を越えたあたりで、「ああやっぱり歩いて帰るにはどうやっても骨の折れる家だよ…」と弱虫が出て来る。それでも、一年でもっとも優しい5月の風はその労苦をねぎらうように、さわさわと身体を撫でてくれているのだった。そしてまたあの曲がり道へ差し掛かる。自転車で行き来していたついこの間までとは違って、今度は行く先左の方面へ、ゆっくりゆっくりと緩やかに道が続いていく。真っ暗な吉祥寺通り。時折じぶんより歳の行かない若者たちが、自転車を駆りながら、上気した身体をわざと風にさらすように、おのおの世話話をしながら行く。「おい!ダイキ!ざっけんなよ!」彼らのほたえ声の残響が、黒い空にこだまする。なにがそんなにおかしいのか、あははは、と機嫌よく、歌うように笑いながら。

 わたしはといえば、まだ患いの抜けない腰を重く運びながら、その患いをむしろ快活に動くことによって忘れられるとでも思っているかのように、つとめてさくさくとしたリズムで北の方にむかって、足を移していく。曲がり道というのは、どこにその局面のピークがあるかを判断するのが難しいのだけれども、ちょうど、前あるいは後ろ、どちらを振り返っても、来た道も行く道も、どちらもがそのカーブで隠されてしまう地点というのがある。立野町の郵便局を越えた辺り、どうしてその場所にその看板を建てたのかの意図はわからないけれど、今行く道が「吉祥寺通り」であることを示してくれる「吉祥寺通り」という道看板の立っている辺り。ちょうどそのとき、それまで吹いていた風がふっと止んで、自転車で行き交う人達も、車も、そして私以外に歩きゆく人の姿も見えなくなった。もとより通行の頻繁なこの通りにして、夜の深い時間を考えても、どうにも訝しくなるくらいに、何の音も聞こえることがない。

 ふと前を見れば、カーブの行く先を霞ませる、通りの両側に佇むアパートや、商店やら、建屋の群があり、そして後ろをみても、おなじように、これまで歩いてきた道の先は、すぼんでめくりとられるように、遠く眺めゆくこともできない。まるで、わたしの視線が、その曲がり道に絡め取られてしまったように、しゅるしゅると細く綴じている。ふと、どうしたことか、時間が完全に運行をやめてしまったような。時間というものが意思をもっているのだとしたら、それまで律儀に働いてきたことに膿み疲れて、流れを運ぶことをなげやりに放棄してしまったような、そんないっときがわたしを捉えたのだった。わたしがもし、このまま歩を緩めることをしなかったとしても、もしかすると、この曲がり道から先の風景は、ずっとこのさきも開き出ることがないのかもしれないという、ささやかな不安ともつかない、よこしまなが蠱惑が心を撫でる。風は止んで、時は流れを止め、わたしはじっと佇む。前にも向かず、後ろにも向かず、その場で、その場だけを感じる。「わかったわかった。そちらがそのつもりだったら、この場で終わりにしてもらおうじゃないか」そんなことが頭に浮かぶと、妙に解き放たれたような、さっぱりした心持ちなったりして、「わー!!」叫んだりしてみる。閉ざされた曲がり道で、わたしの声が、わたしから離れて、道を囲むモルタルにぶつかり、四方からわたしに、わたしがこだまする。

 

 「あ!」と思うひまもなく、くろぐろした小さなかたまりが足元を駆けていく。そのくろぐろは、一つではなくて、時間を置いて、いくつも転がっていく。三個、四個。コロコロコロ!本当にそんな音をたてるように、でも実際には何の音もなく、転がっていく。そのくろぐろは、今私があるいてきた道から、今私が行こうとする道へむかって、一目散に転がっていく。わたしがいまこんなに難儀して、夜につかまえられてしまっているその中で、その鼠たちは、ゆうゆうと、曲がり道にとざされた風景を、駆けていく。彼らが来たのは、やはり今でも閉ざされた道のどこかから。そして彼らが行くのは、いま私が行こうとしてもその先が見えない、閉ざされた道なのだった。すばしこい鼠たちは、曲がり道をまるで自転車で行くように、駆けていく。わたしがあのロードバイクでこの道を駆けていたあのときと同じように、たぶん、この曲がり道がどこかで、いやここで、こうして誰かが閉ざされてしまっていることも知ることもなく。鼠達は、わたしがさきほど発した、「わー!」という声を聴いてくれていただろうか?おそらく聴いてはくれてはいないだろう。それが、曲がり角で歩みを止めた、わたしの声だと知ったのならら、わたしもそのくろぐろの仲間にしてほしいのだが。

 

 そんなことを思っていたら、どういうことだろう、わたしは既にその曲がり道を越えて、我が家から最寄りのコンビニである、セブンイレブンの前に立っているのだった。家に歯磨き粉をきらしていることにふと気付いたわたしは、そこでそれを買って帰った。家に着くと、都会のネズミの生態系を調べようと、ウィキペディアを開いてみて、少しだけそれを読んで、床に着いたのだった。