CDさん太郎 VOL.5 2019/2/18、20、22 購入盤

こんばんは。本記事は、<次のレアグルーヴはCDから来る>を標語とする(?)、CD特化のディグ日記シリーズ「CDさん太郎」のVOL.5になります。今回は2019年2月18日から22日にかけて、仕事で訪れた都内各所で散発的に購入したCDを計10枚紹介します。

出先から自宅へ戻る際、少しの迂回で寄ることのできるブックオフ店舗があると必ず訪れてしまう体質になってしまいました。こういうとき、基本23時まで営業しているブックオフの有り難みが身に染みます。急にCDが欲しくなっても安心ですね。

(本シリーズ要旨、並びに凡例は第一回目のエントリをご参照ください)

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 今回はどうしてもはじめに取り上げる盤のジャケ写を頭に持ってきたかったので、購入時系列としては逆になってしまうのですが、昨日2/22に入手したものから紹介していきます。(1〜4が2/22、5が2/20、6〜10が2/18購入盤)

 

1.

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アーティスト:翠光
タイトル:黎明
発売年:1998年
レーベル:MUSIC OFFICE TIKA
入手場所:ブックオフ分倍河原
購入価格:280円
寸評:勇み足でTwitterでも予告をしてしまいましたが、ここ最近手に入れたCDの中でも最もよくわからない盤です…。おそらくジャケット表1のポートレイトを見ただけでは買わなかったと思うのですが、裏返してみると抹香臭MAXの仏教絵画がドーンと。ヤンキーと仏教という、まったく想定していなかった組み合わせに、只事ではなさを強く感じ、購入。ヤンキー系ニューエイジ?そんなものが存在しうるのか?

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いったいどんな音楽が収録されているのか期待に胸踊らせながら、まずはブックレットを開いてみる。すると飛び込んでくるのは、法衣を着て霊峰を臨む翠光(すいこう、と読みます)くんの姿。素晴らしい。期待感が高まる。先日紹介したIZANAGIのようなシンセサイザー音楽を想像。もう1ページめくってみると…なんとアコギを抱えており、しかも自作歌詞が掲載されている…。一瞬嫌な予感が…。

その前に、そもそもこの翠光くんが何者なのかって話ですが、本当に怖くなるほどネット上に情報皆無なので、ブックレットに書いていることから察するに、どうやら香川県真言宗善通寺周辺で生活していた(?)、録音当時20代半ばの若者のようです。なぜこのようなスピリチュアルな音楽活動を行うようになったかと言うと、この録音から先立つ93年、ネパールへ自分探しの旅をした際、雄大なヒマラヤを眼前にしアウェアネスを得たということがきっかけのようです。たまたま日本から持参していたアコギを片手に、そこで得た霊感を歌に託した…という物語。それがまたどうして数年後にアルバムにまとめられたのかは謎に包まれていますが、剃髪していないところを見ると、どうやら善通寺の在家信者/檀家かなにかで、どこからか宗教筋からの出資があってこうして制作・作品化したというところでしょうか…?(ブックレット中に高価なアコギが沢山クレジットされているのですが、これを全て自分で買ったんだとしたらスゴイことです)

肝心の内容に触れるまで前置きが長くなりました。なんと言ったら良いのやら…結論から言うと、かなり良質なCDなんじゃないでしょうか。ともかく他に似ている音楽が見当たらないのですが、強いて言うならば、ニューミュージック調フォークとケヴィン・エアーズ風ドンファン流アシッド・フォークが合体した世界というか…。歌詞はもう完全にそっちの世界だし、メロディはといえばほとんどビリー・バンバンで、時に海援隊みたいな瞬間さえ現出するのですが、大きく構えるリズム感覚、くぐもり気味ながら不思議な色気を孕んだ歌声など、ちょっとフレッド・ニールやディノ・ヴァレンテ、スキップ・スペンスなどに近い気もします(オタクの関心を惹こうとして嘘を言っているのではなく、本当にそうなんです…本人はおそらく無自覚かと思いますが)。そして、特筆すべきはそのアレンジと音像。基本的なセットは本人のアコギとイシイユウジ(誰…?)という人の弾くフラット・マンドリンを伴ったシンプルなものなのですが、そこへピアノ、シンセサイザー(キター!)、タブラなど各種パーカッション、時に分厚いコーラスが垂れ込めるという、アシッド・フォーク傾向のサウンド構成です。そして、誰がどうやって録ってどうミックスをしたのか全く不明ですが、ほぼ全ての音要素にヒジョーに深いリヴァーブが…。これは………素晴らしい。この全く新鮮な音楽に無理矢理名前を付けるとすれば、「レリジャス・ヤンキー・アシッド・フォーク」ですかね。特に良いのが、意外にもメジャー7th系コードのストロークを交える夢幻ナンバーM3「moon light」、そして「ナマステ」のリフレインと般若心経の朗唱がドープすぎる9分超えの一大叙事詩M6「ティカ」(ほとんどデヴィッド・クロスビー)あたり。素晴らしいです。世界は広い…!!

  

2.

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アーティスト:V.A.
タイトル:高橋美由紀オリジナルアルバム 天を見つめて地の底で
発売年:1993年
レーベル:PONY CANYON
入手場所:ブックオフ分倍河原
購入価格:280円
寸評:秋田書店の漫画雑誌月間「パンドラ」で1990年〜2000年まで連載された高橋美由紀の代表作『天を見つめて地の底で』のイメージ・アルバムです、と書きましたが、すみません、高橋美由紀先生についてもこの漫画についても今回始めて知りました…。なぜこのCDを買ったかというと、ネットで調べたらあのライトメロウ寸前系伊達男、野見山正貴が歌唱参加しているらしいから。それ以外にも高橋先生自らが歌唱する曲などもあり興味深い。曲ごとでまったく違った音楽傾向にあり、ユーロプログレ風インスト、ライトクラシック風インストなど、全体にばらつきのある盤なのですが、やはり野見山参加曲がその中でも比較的よく、ミディアム・メロウな魅力あり。演奏陣も淡海悟郎ほか、手堅い。原作を知らないので何とも言えないけれど、ファンタジックで瞑想的な雰囲気がよく出ている。

 

3.

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アーティスト:川村万梨阿
タイトル:春の夢
発売年:1991年
レーベル:日本コロムビア
入手場所:ブックオフ調布南店
購入価格:280円
寸評:声優の川村万梨阿がリリースしたおそらく5作目(?)のソロアルバム。私はお恥ずかしながらアニメ文化に全く明るくないので、この方がその世界では非常に高名な声優さんであることも知りませんでした。なぜ今回本作を購入したかというと、light mellow部で小川直人さんがこの後にリリースした作品をレビューしていて気になっていたからなのです。小川さんも書いている通り、音楽クオリティに比してあまりに語られなさ過ぎではないか?と、僕も今作を聴いて強く思いました。川村さん、歌声や節の付け方など、どことなくZABADAK上野洋子さんを彷彿とさせるところもあり、非常に清廉かつコケットな魅力をお持ち。歌唱力もすごい。それを支えるのは、全編非常にクオリティの高いオケ。本人も作曲していますが(それもスゴイ)、外部コンポーザー陣が非常に豪華で、ラジ、吉川洋一郎、副島邦明、果ては細野晴臣…!曲調はライトメロウというより、ニューウェーブ調というか、はっきりいえばニューエイジ調。ニューエイジ・ポップの名作、福島祐子『時の記憶』などに通じる世界。和やラーガの香りも濃密にあり、相当にアヴァンです。出色はラジ作・編曲のM1「PLANET BLUE」、細野晴臣作曲のM4「月夜の子猫」あたりか。オタクに聴かせるには出来が良すぎる。

 

4.

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アーティスト:小久保隆
タイトル:DHC SOUND COLLECTION 小久保隆の癒やしの音楽 森
発売年:2008年
レーベル:DHC
入手場所:ブックオフ調布南店
購入価格:280円
寸評:俗流アンビエントもので、2000年代リリースのの商品を買うことは珍しいのですが、この小久保隆だけは別。古くはジャパニーズプログレバンド<新月>のドラマーとして活動、のちバッハ・レボリューションなどにも関わりソロ独立、現在は日本の背景音楽界の最重鎮と言うべき存在。近年海外リスナーから発見され、87年作の『Get At the Wave』が国外リイシューされるなど、その注目度は急上昇中(例のLight in the Atticからの環境音楽コンピにももちろん氏の楽曲は収録されています)。わたしは<イオンシリーズ>という90年代初頭のテイチクでの名作群でその存在を知ったのですが、もう本当にどれを買ってみても全部素晴らしいんですよね。氏のトレードマークともいうべきディレイ処理されたアコギとクリスタル極まりないシンセサイザーの融合、それだけで夢見心地です…。これは2008年にDHCからの委嘱で制作された非売品アルバムのようです。(エステサロンでの配布用とかだったのでしょうか)。森をテーマに環境音と楽音を静かに溶け合わせていきます。自身の<ION>レーベルからの近年諸作はサブスク上にもありますが、これはネットでは聴けない。

 

5.

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アーティスト:조용필(チョー・ヨンピル)
タイトル:5
発売年:1990年 (オリジナル 1983年)
レーベル:JIGU RECORDS
入手場所:レコファン渋谷店
購入価格:108円
寸評:チョー・ヨンピルといえば日本でも非常に有名なトロット歌手ですが、僕が彼の音楽を意識するようになったきっかけは昨年日本公開されたソン・ガンホ主演映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』の冒頭、カーステレオから流れてくる、超最高のシンセ・ディスコ曲「おかっぱ娘」(79年)でした。その後同曲の入った第一集(という名のセカンド・アルバム。ややこしい…)の再発CDを入手し愛聴しているのですが、「ということは他のアルバムにもそういうナイスメロウチューンが入っているのかな?」という期待のもと、オリジナルアルバムを探し求めていたら、こんな値段で転がっており購入(したあとにAppleMusicでも聴けることに気付いた)。果たして…残念ながら全編これド演歌の世界でそういったものは入っていなかった…がっかり…という物語。といいつつ、もちろんトロットも嫌いじゃないので、普通に聴いている分には好ましいのですが。

 

6.

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アーティスト:蘭広昭
タイトル:ナチュラル・サウンド・シリーズ 海のシンフォニー THE WAVE
発売年:1989年
レーベル:PONY CANYON
入手場所:ブックオフ飯田橋
購入価格:500円
寸評:今回の大失敗盤です。クリスタルなシンセサイザー使いの俗流アンビエントを期待したのですが、背景というレベルじゃないめちゃ大きい音でザッブーン!ジャバジャバ〜!、みたいな波のサウンド主体、そこへ気が向いた時に絡んでくる楽音。この音楽がまあ良くない…。よく調べて買えばよかったんですが、作曲・演奏の蘭氏は、ニューエイジ畑の方じゃなくて、演歌〜歌謡畑の方らしい。R80のペンタトニック・ピアノ・ミュージックでした。蘭さんに罪はない。

 

7.

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アーティスト:折野順三、浅倉大介
タイトル:F.DISC 〜今あなたがあなたを超える〜
発売年:不明(1990年代初頭?)
レーベル:スポーツ体力研究所
入手場所:ブックオフ飯田橋
購入価格:280円
寸評:aestheticなジャケに惹かれ購入した俗流アンビエント。ジャケ裏にナレーション入りとあるので、覚悟していたのですが、覚悟していた以上に全編ナレーション入りで、ウザったいこと極まりない(と思う人は本来このCDを聴いてはいけない)。要は自分に自信を持ってハツラツと生きることができるようになるためのインディー系セルフコントロールCDですね。スポーツ体力研究所というのは、静岡県にあるSANRIというその世界では大手の会社が運営していた団体のようです。基本的にはヒジョーに適当に作られた感じのシンセサイザー・ペンタトニック・アンビエントなのですが、展開というものに極めて乏しく、残念ながら途中停止。折野順三さんという方は存じ上げませんでしたが、Twitter上にビートルズアイコンのフォロワー3の同名アカウントを発見。同一人物なのでしょうか。そして…浅倉大介って、あのaccessのか…!?ホントに!?

 

8.

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アーティスト:谷川賢作
タイトル:東宝映画 「つるー鶴ー」オリジナル・サウンドトラック
発売年:1988年
レーベル:PONY CANYON
入手場所:ブックオフ飯田橋
購入価格:500円
寸評:市川崑監督、吉永小百合主演の1988年公開映画『つる ー鶴ー』のサントラ盤です。吉永小百合の映画出演100本記念作でもあるらしいのですが、私は未見、というか今回初めてこの映画の存在を知りました。相手役が野田秀樹なのか〜、菅原文太も出てるのか〜、とかとか興味が湧きますが、なにより音楽を谷川賢作が手がけているというのが素敵。谷川賢作といえば父は詩人の谷川俊太郎で、あの佐藤允彦に師事していたこともあるという作曲家/ピアニストですが、この時期、市川崑監督作品の音楽を連続して担当しています。この「つる ー鶴ー」は、民話「鶴の恩返し」を映像化したものなのですが、名作『怪談』(武満徹が音楽を担当)しかり、そういう作品は往々にしてスコアが大変素晴らしいという経験則があるので買ってみました。果たして…これは本当に素晴らしいですね〜。なぜか「アメイジング・グレイス」がテーマ曲だったらしく、それが時おり変奏される以外は全て谷川氏の描き下ろし。特に硬派なシンセサイザー使いのトラックが良い。これ、おそらく武満徹の前述『怪談』の劇伴を相当意識しているような気がしますが、どんなもんでしょうか。ちなみに、映画自体は、レビューサイトなどをみると結構ヒドい言われようです。

 

9.

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アーティスト:矢吹紫帆
タイトル:α波 1/fゆらぎ ブリリアント・エナジー
発売年:1990年
レーベル:アポロン
入手場所:ブックオフ飯田橋
購入価格:500円
寸評:俗流アンビエントのプレステッジ、アポロン。この矢吹紫帆は一時期アポロンの専属だったのか、同レーベルにアルバムを吹き込みまくっている女性シンセシストなのですが、僕はこの人の音楽がとても好きで、CDを見かける度に買ってしまいます。87年のファーストアルバム『からだは宇宙のメッセージ』が昨年スウェーデンのSubliminal Soundsからリイシューされたことからもわかるように(そして当然先述のLight in the Atticのコンピにも収録)、ここへ来て海外からも熱い注目を浴びている方です。鍵盤奏者としても、たおやかなメロディー感覚や精細なダイナミズムにあふれたタッチが素晴らしく、そのあたりの華と綾はこの人ならでは。本作も相変わらずの高クオリティで、心地よい眠りに誘ってくれます…(これを書きながら一度寝落ちしました)。

 

10.

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アーティスト:宮本文昭
タイトル:ニペンシィ
発売年:1989年
レーベル:CBS/SONY
入手場所:ブックオフ飯田橋
購入価格:200円
寸評:指揮者としても著名なオーボエ奏者、宮本文昭による5作目のソロ作。ライト・クラシックとフュージョンニューエイジの合体というのは、このところのDIGのテーマでもあって、掘れば掘るほど良い作品がどんどん出てくるのですが(中西俊博溝口肇村松健西村由紀江城之内ミサ山形由美etc..)、その中でも本作はかなりの高クオリティなのじゃないでしょうか。クラッシク名曲をフュージョン調にアレンジするという、その世界からしたらこれ以上のセルアウトってあるの!?と未来の私が心配になるやり方ですが、今聞くとそれが実にいい塩梅。本作はクラッシク曲だけではなく、ポピュラー曲も入っているのですが、それらがイヴァン・リンス「ラヴ・ダンス」とジョビンの「波」というブラジル志向。案の定これらの曲が特筆して良い。編曲は佐橋俊彦などが中心となって行っているのだけど、尼崎勝士というどこかで見た名前が…。あの台車レコメンでお馴染み、『バンボレオ』の「与野」氏でした。こんなところでつながるとは。急に麻布〜ギロッポンの匂いがしてきましたネ。

 

CDさん太郎 VOL.4 2019/2/17購入盤

編集

こんばんは。本記事は、<次のレアグルーヴはCDから来る>を標語とする(?)、CD特化のディグ日記シリーズ「CDさん太郎」のVOL.4になります。今回は2019年2月17日、東京練馬〜板橋界隈で購入したCDを13枚紹介します。多い…。

休日だったということもあり、久々にガッチリと各地店舗を周遊したのですが、什器の下の方にあるCDを見るときなど頻繁に屈み起きを繰り返した結果、翌日膝と腰にガタが来てしまうという、寄る年波に思いを馳せざるをえない形となりました。35歳になってもゴミのような値段のCDを買っている将来、あの頃は想像できませんでしたね。

(本シリーズ要旨、並びに凡例は第一回目のエントリをご参照ください)

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1.

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アーティスト:不明
タイトル:NEW α SOUND  / H Developing your Charm Series.[Instrumental]
発売年:不明(1990年代初頭?)
レーベル:J.F. ラピスクラブ事業部
入手場所:ブックオフ中板橋店
購入価格:108円
寸評:1986年から東京を拠点にヘルスケア商材やパワーストーンなどの販売を扱うラピスクラブが、おそらく90年代初頭に制作していたオリジナルヒーリング音楽シリーズ中の一作です。ど直球の俗流アンビエントですね。どうやら個別販売用のCDではなく、ネットに散らばる情報から察するに当時販売されていたヘルス〜ビューティーケア商品に付属するような形で頒布されていたもののようです。それがバラバラになってCDの墓場たるブックオフ投げ売りコーナーにたどり着いたという物語。これまでも見かけるたび何作か購入しているのですが、本作、その中でもずば抜けて良い!M1は、冒頭教会旋法風の電子オルガンの響きにギョッとするのですが、その後シンセサイザーのミニマルでガムラン的な反復が始まりつつ主張を抑えた奥ゆかしいビートを伴う、相当良質なアンビエントが展開。The Orb的。M2は生ピアノ(のプリセット音)が主導し、一瞬嫌な予感がするのですが、シンセサイザーの高音ドローンが全体をひんやりしたトーンに包む。久石譲を簡単にしたような音楽。もっとも聴きものなのがM3で、シンセサイザーのクリスタルなトーンに極めて膨よかな低音がからみそうでからまなく、突然に打楽器が打ち鳴らされたりする。それぞれの音が丁寧に独立してデザインされ、ちょっとフルクサス的というか、前衛音楽の香り。先日本ブログにも登場した尾島由郎氏などの作風に近い?いや〜、これ、相当良いです!偶然に偶然が重なって作者の方がこちらのブログご覧になることがあれば、是非ご連絡ください。

 

2.

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アーティスト:矢野顕子
タイトル:クイーン・ソングス
発売年:1993年(オリジナル 1979年)
レーベル:MIDI(オリジナル 日本コロムビア)
入手場所:ブックオフ中板橋駅
購入価格:108円
寸評:こんな作品があったなんて…今の今まで全然知らなかったです。矢野誠がプロデュースとアレンジを担当、矢野顕子のピアノを中心に、大村憲司小原礼本多俊之仙波清彦、マーティン・ブレイシーが参加した、クイーン楽曲のカバー・アルバム。元はオーディオチェック用のみに販売されたものらしく、45回転LPという特殊なフォーマットのもの(だから総収録尺はかなり短い)。しかしこの時期の矢野顕子といえば、ソロでも既に数作のキャリアがありYMOとも活動を共にしていた時期。こんな「お仕事」もやっていたとは…という。内容はと言うと、ものすごく中庸なカヴァー集(=完全にイージーリスニング)なんだけど、今となってはその味わいが良いですよね。けれどやっぱりみなさんの演奏クオリティは素晴らしいですね。みんなクイーンの曲に対して全然思い入れなさそうなのが良い。いくら位のギャラだったのか知りたいですね。しかし矢野顕子の所属レーベルだったとは云え、MIDIもよく再発したな〜、これを。

 

3.

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アーティスト:HALO
タイトル:TIDE
発売年:1990
レーベル:アルファ
入手場所:ブックオフ西台高島通り店
購入価格:280円
寸評:PINKのボーカリスト福岡ユタカがバンド解散後にドラマーの矢壁アツノブと結成したデジタルファンク・ポップユニットHALOによる二作目。PINKというバンドはなんというか、おそらく今2019年に一番語り方に迷うバンドじゃないかなと思っているのですが、どうでしょうか。ニューウェーブ、ファンク、エスノ、様々な要素が入り混じりながらも最終的には<和>としか形容しようのない独特の土着感。モッチャリ以上オシャレ未満というか…。いや、とても好きなんですけど。ホッピー神山氏の突きつけたセンスがにじみ出る瞬間とか、とても素敵で。このHALOは福岡氏の朴訥としつつも突き放したボーカルが、PINK以上にポップなデジタル・エスノファンクにのっており、好感。シンセはBANANA。さすが。ギターは窪田晴男。他小川美潮吉田美奈子も参加し、クールで抑制的な狂乱を添える。しかし、なんとも今評価しづらい音という印象は拭えず…。ジャズで言うと所謂中間派みたいな…。Shi-Shonenやリアルフィッシュとかにも同じことが言えるような…。もう少し寝かせる時間が必要かもしれませんね。

 

4. 

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アーティスト:冨田勲
タイトル:蒼き狼の伝説 〜NHKスペシャル「大モンゴル」
発売年:1992
レーベル:BMGヴィクター
入手場所:ブックオフ西台高島通り店
購入価格:280円
寸評:世界的にヒット/評価された70年代諸作の偉大さはもちろん、日本シンセサイザー音楽の泰斗として晩年にも大規模な再評価(OPNまでもが崇敬を捧げた)のあった冨田勲ですが、このあたりの作品は微妙に再発から漏れているんですね。タイトルどおり、92年に放映されたNHKスペシャル『大モンゴル』のサウンドトラック盤で、この時点で8年ぶりの新作でした。劇伴ということもあり若かりし頃の諸作よりやや抑制的で、そのことでかえって効果音楽としての風格充分です。相変わらず随所にクラシック趣味が炸裂しており、冒頭のメインテーマはちょっと、すぎやまこういち風。俗流アンビエントばかり聴いている耳からすると、当たり前なのですが「良く出来てるなー」という感想。逆に言うとソツがなさ過ぎてチャームに欠けると思ってしまうことも…。モンゴルを題材にしているだけあって民族楽器音も収録。あくまで味付けとして。

 

5. 

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アーティスト:リディア・カヴィナ

タイトル:ミュージック・フロム・エーテル オリジナル・ワークス・フォー・テルミン
発売年:2001年
レーベル:Rambling RECORDS
入手場所:ブックオフ西台高島通り店
購入価格:500円
寸評:僕と同世代かそれより上の方なら、2000年代初頭にたまさかテルミン・ブームが興ったことを覚えていらっしゃるでしょう。この珍妙な楽器の開発者レフ・テルミン博士の生涯を描いた映画『テルミン』が2001年に公開され、それ以前からのモンドミュージック・ブームなどもあいまり、テルミンがオシャレなものとしてクローズアップされたあの頃。懐かしい。ヴィレッジヴァンガードとラヴァライト、ショートボブ、スケルトンのアイマック、そしてテルミンのおもちゃ…。それからはや20年弱数、先日読んだマーク・ブレンド著/オノサトル訳『未来の〈サウンド〉が聞こえる 電子楽器に夢を託したパイオニアたち』(アルテスパブリッシング)に触発されて、テルミン音楽をしっかり聴きたいなと思っていたところに転がっていた名編集盤。リディア・カヴィナ(67年生まれ)はテルミン博士の親戚筋にあたる由緒正しい奏者で、おそらく当代随一の腕前の持ち主。ロックやポップスで使用されるテルミンの大仰な効果狙いのサウンドからすると、なんたる繊細さ…。本当にクラシック歌手がごとき精緻なダイナミズムを聞かせるとおもえば、不敵な電子音のざらつきを投げつけてきたり。取り上げられる楽曲はソ連時代のオブスキュアなクラシック作曲家によるものが中心で、濃密な共産的ロマンを感じる(録音は近年)。

 

6.

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アーティスト:障子久美
タイトル:RHYTHM OF SILENCE
発売年:1990年
レーベル:ビクター音産株式会社
入手場所:ハードオフ板橋赤塚店
購入価格:108円
寸評:障子久美のファースト・アルバム。松任谷正隆主宰の音楽学院卒業生として氏が大プッシュ、プロデュースも手がけています。作を重ねるごと徐々にブラックミュージック・テイストをましていく彼女ですが、今聞くと特にこのファーストはまだマイルドで、シティ・ポップとの折衷のようなアレンジが多い気がします。ですが、ボーカルの貫禄はいきなりすごいですねえ。矢鱈にパワフル、とかじゃなくて、ニュアンス豊かでとにかく巧い。作詞作曲は自身が行い、編曲は正隆にくわえ新川博武部聡志、バッキングは松原正樹高水健司、ジェイク・H・コンセプションなど、盤石。時代的にニュージャックスウィング的というかエレクトロ・ファンクのノリを出そうとしているようなんだけど、なんかちょっと違う(地味…?)感じも好ましい。シティ・ポップ的にはM5.「WANDER」、M7「GIVE ME YOUR LOVE 」、M8「PARADISE」あたり良いですネ。バラードにはユーミンの影も。

 

7.

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アーティスト:メレル&ヨリコ
タイトル:トロピカル・ビート
発売年:2002年
レーベル:キャプテン・トリップ
入手場所:ハードオフ板橋赤塚店
購入価格:108円
寸評:ハードオフ板橋赤塚店、都内ハードオフ店舗の中でも小規模店舗で、なぜここに店を出したんだろう?という謎のロケーションなんだけど、いつ行ってものんびりしていて好きなんですよね。まあ、そのかわり回転も悪いような気もしますが…。この日行ってびっくりしたんですが、なぜかジャンクコーナーに日本が誇るサイケデリック・レーベル、キャプテントリップのニッチなカタログが未開封で沢山葬られていたのでした。しかも1タイトルにつき4枚づつくらい同じものが…。こういうのに遭遇するとレーベルマンとしては結構ツラい気持ちになるのですが…在庫整理か…?まあこのCDも正直言って相当コアなメレル・ファンクハウザーのファン(メレル・ファンクハウザー自体が既にコアなのに)しかさすがに買わなかったであろう作品かなと…。僕はこのメレル・ファンクハウザーという人が大好きなのですが、これはさすがに持っていなかった。古くはインパクツ、ファパドクリィ、HMSバウンティ、MUといった伝説的サイケロックバンドを率いた才人で、70年代にはハワイに移り住み、独特のロコ・モードとサイケデリックを融合させた最高のサーフ・ロックを奏でた偉人なのですが、ずーっとコンスタントに活動し、2002年には日本人のホンゴウ・ヨリコとパートナーシップを結び、こんなアルバムをリリース。メレル流フォーク・ロックとフラ音楽が融合と書くといかにも好ましそうですが、この無自覚なジャケットから察せられるように、まあ音像がチープ…(笑)。「ベテランアーティスト作品におけるノンディレクション案件」でよくある状態に…。とはいえども曲自体はとってもよく、流石。なによりもこれをちゃんと日本盤でリリースしたキャプテントリップが偉大過ぎる。おそらく売上芳しく無く、こうして流れ流れて未開封盤が本ブログに登場という物語。

 

8.

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アーティスト:林和行
タイトル:カラー・メッセージ グリーン
発売年:1993年
レーベル:アポロン
入手場所:ブックオフ光が丘店
購入価格:280円
寸評:アポロンというのは元々渡辺音楽出版が原盤権を持つ作品のリリースをするために発足したレーベルだったのだけど、80年代末期から大量の俗流アンビエント盤を制作しています。俗流アンビエントブルーノートが「Della」だとすると、アポロン俗流アンビエントのプレステッジというところでしょうか。いや、リヴァーサイドかな。知らんけど。これはカネボウが監修する「サウンドエステティック・シリーズ」の一環としてリリースされたもので、カラー・セラピーと絡めた商品。実際にエステティック・サロンで使用されていたとか?このシリーズ、昨今海外でも再評価著しい矢吹紫帆女史が吹き込みを行っていることもあり、割にクオリティの高いサウンドを聞かせてくれる。本作を担当した林和行氏は、現在も活動するピアニスト兼シンセシストで、静謐で高尚なものというより、親しみやすい温かなアンビエントを聞かせてくれる。ややピアニックすぎるのが個人的な趣味と合わないですが、当時のマーケティングを考えればこれが正解なのかもしれない。なぜか緑のフィルムが同梱されているが、これで世界を覗け、癒やされろ、ということなのだろうか。

 

9.

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アーティスト:野呂一生
タイトル:ヴィーダ
発売年:1989年
レーベル:ポリドール
入手場所:ブックオフ光が丘店
購入価格:280円
寸評:カシオペア野呂一生が単身ブラジルはリオ・デ・ジャネイロに乗り込んで制作したソロ作。ここ数年J-FUSIONの周縁部からじわじわ聴いているんだけど、遂にカシオペア(本隊じゃないけど)にたどり着いてしまった。いやー、このアルバム、なんですか!最高ですね…。野呂一生の弾くギターと一部キーボード以外は全て現地ミュージシャンが占めているのですが、その演奏のツヤよ…。これは先日レビューした横倉裕にも通じることですが、なんなんでしょう、こういう環境に置かれると人は輝く…のかしら。いろんな手練が参加していますが、なんといっても語るべきは、あのウーゴ・ファットルーソとシヴーカがクレジットされているということでしょう。こういう連中がいるっていうだけでリスナーとしてはテンションが上がりますね。もちろんインスト曲中心なのだけど、たまらいのが野呂一生がボーカルをとる曲。特にM2「たそがれのESTRELA」の非専業歌手ならではのジェントルな歌声…。そういうものが好きな人には悶絶でしょう。今夏DJする際のセトリ入り確定で。

 

10.

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アーティスト:尾崎和行
タイトル:僕達の行方
発売年:1992年
レーベル:VAP
入手場所:ブックオフ光が丘店
購入価格:280円
寸評:「好きな音楽は?どんなジャンル聞くの?」と人に訊いて「うーん、バラードかな」と答えられたという奇譚はいつの世でもたまに伝え聞くけど、それくらい、バラードというのは需要がある(あった)。バラードの実態って、実際にはBPMの速い遅いじゃなくて、もっと総体的なニュアンスが絡んでくるような気がしており、それを言葉にするにはもっとバラーディーなものを聞いて勉強なくてはいけない(しなくていい)んだけど、この尾崎和行なんかは丁度いいんじゃないでしょうか。実際のテンポはミディアムだと思うんだけど、漂い来るイキフンはどうしたってトレンディーなバラード…。中西保志などがこの時代を代表するバラーディアーですが、ターゲッティング的にはそういうところでしょうね(尾崎氏の方がデビューが早く、第30回ポプコンで名を成し、86年にデビューしているが)。ジェントル&実直極まりない歌声が乗るバックトラックは非常に豪奢。久米大作が全アレンジを手がけ、フェビアン・レザ・パネ土方隆行青山純土岐英史などが脇を固める。これだけ揃えば極上のライトメロウ盤を想像するけど、実際に聴いてみるとそうもいかず痒いところに手が届かないのが安CD蒐集のよくあるパターンです。もう少し寝かせる時間が必要かも。

 

11.

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アーティスト:JANICE
タイトル:JANICE
発売年:2011年(オリジナル 1975年)
レーベル:BGP(オリジナル Fantasy)
入手場所:ブックオフ下赤塚店
購入価格:280円
寸評:この「CDさん太郎」では珍しい?評価がきちんと定まった盤が登場してしまいました…。となると僕がここで語るべきことは少ない。英ACEのレア・グルーヴ系専門ラインBGPが一時期怒涛の勢いで再発していたFantasy系リイシューの一貫で世界初CD化された本作。リードシンガー、ジャニース・ベネットの名前からとった男女混声ボーカルグループのよるデビュー作で、グループとの共同プロデュースは元ムーングロウズのハーヴィー・フークワ。王道的70年代ソウル〜ノーザンの隠れ名作で、普通にLPを探していたのですが、激安価格でCDに遭遇し購入しました。内容は…いうまでもなく最高です。

 

13.

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アーティスト:MAXINE BROWN
タイトル:BEST OF THE wand YEARS
発売年:2009年
レーベル:ACE(オリジナル wand)
入手場所:ブックオフ下赤塚店
購入価格:280円タイトル:JANICE
寸評:これもソウルファンには言わずもがなの名吹込み。マキシン・ブラウンといえば、その後のエピック時代の作品が大好きで、ノーザン・ソウル聖典的名曲がいくつもあるのですが、これはその前、wandからの作品を英ACEがコンパイルしたスグレモノCD。これまでもKENTのLPなどで親しんできた音源でもあるのだけど、激安価格で見つけたので買ってしまった。後の時代よりやや硬質な質感は、アーリーソウルの華。予てよりノーザン的評価も行き届いているようで、詳細な解説はACEのマジを感じる。素晴らしい。特に新しく言うことはありません…。

 

13.

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アーティスト:ユージン・レコード
タイトル:ウェルカム・トゥ・マイ・ファンタジー
発売年:2010年(オリジナル 1979年)
レーベル:ワーナー
入手場所:ココナッツディスク池袋店
購入価格:648円
寸評:久々にココナッツ池袋店へ。これをレジに持っていったら、以前よりお世話になっている中川さんがいて、「ブログ、見てますよ」と。嬉しいやら恥ずかしいやら。ありがとうございます。本作も評価固まっている系ですが、ユージン・レコードディスコグラフィーでも若干軽んじられているキライがないでもない。ユージンといえば、シカゴ・ソウルの華、そしてシャイ・ライツのリーダーなわけだけど、僕は昔から彼の書く曲と歌声が大好きで…。ソロ作でいうと三作目にあたる本作、購入時に調べたんだけどサブスクにもまだない!ということで、LPでも同程度の値段で見つけられそうだけど、購入。内容はシカゴ・ソウル・テイストからよりディスコ寄りになったブギー名作で、プロデュースのパトリック・ヘンダーソンの手腕が光る。もちろん内容は間違いなく最高です。

 

次回へ続きます…。

CDさん太郎 VOL.3 2019/2/13購入盤

こんばんは。本記事は、<次のレアグルーヴはCDから来る>を標語とする(?)、CD特化のディグ日記シリーズ「CDさん太郎」のVOL.3になります。今回は2019年2月13日、東京下北沢〜吉祥寺界隈で購入したCDを6枚紹介します。

(本シリーズ要旨、並びに凡例は第一回目のエントリをご参照ください)

shibasakiyuji.hatenablog.com


 1.

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アーティスト:マジカル・パワー・マコ
タイトル:Hapmoniym 1972-1975 #3
発売年:1993年
レーベル:Mom 'N' Dad Productions
入手場所:ディスクユニオン下北沢店
購入価格:640円
寸評:今の若年世代にはあまりリアリティを感じられない話かもしれないのだけど、私の世代(ゼロ年代に20代を過ごした世代)にとって、マジカル・パワー・マコはもはやその名の響きだけで聖典の如き重みをもっていました。「いました」と過去形で語っているのは、その当時、マコや、あるいは70年代のジャパニーズ・アンダーグラウンド・ミュージックを異様な熱量で崇拝するという<音楽好き>の行き方が、その後の世代にあまり継承されていないような気がするからなのですが…。いまも覚えているけれど、大学生1回生だった私に、「灰野敬二聴いたことないのかよ?ブッ飛ぶぜ」というような言い方でもって、今風に言えば<マウンティング>してきた自称アングラ趣味の先輩たちに対して言いようのない不信感と胡散臭さを感じていたわけだけれども、ようやく今になって、そういうイヤったらしさを超えて、冷静にその音楽を聴ける機運が巡ってきた気がします(それらのセンパイたちは今何をしているんでしょうか?元気でいてほしい)。これが所謂<サブカル調>ファッションとして消費された時代があったという目を覆いたい事実は、日本の音楽受容史にとって改めて不幸だったなあと…思う…。そういう呪怨も綺麗サッパリ過ぎ去った今、この音楽はあらためて本当に本当に素晴らしいと思います。伝説のポリドール諸作の前後、10代後半のマコが自宅などで録りためていた実験の数々。今聞くなら眩しいほどにピュアで、ポップ。アナログ・シンセサイザーとのピュアネスあふれる格闘と遊戯、密室的熱量、そこから突き出ていく(良い意味で)自己目的的で健全な実験性…。それらに、ファウストやフローリアン・シュナイダー、コンラッド・シュニッツラーらとの共通点をほじくり探すのは易いけれど、それ以上に、現在のインディペンデントなDTM作家に通じる濃密な<独り>性と、それが必然として求める社会性への言いようのない渇望を感じ、とっても愛おしく切ない気持ちに…。宇川直宏が100万円で譲り受けたこれら音源は93年に全5集に渡ってリリースされたのですが、この3集はその中でも特にやりたいことをやっている感じで、今こそ実にチアフルな力に満ちていると思います。

 

2.

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アーティスト:ツトム・ヤマシタ
タイトル:太陽の儀礼 Vol.1
発売年:1993年
レーベル:佼成出版社
入手場所:ディスクユニオン下北沢店
購入価格:280円
寸評:上記マコにくらべて、ツトム・ヤマシタのその当時(ゼロ年代)における評価の低さと言ったら。というか、ほとんど語られること自体がなかったんじゃないでしょうか。かくいう私も、英アイランドからの諸作を、スティーヴ・ウィンウッド一派や英プログレッシブ・ロックの文脈でしか捉えておらず、匂い立つ抹香臭さでその音楽的真価については無関心だったような気がしています。ツトム・ヤマシタに関心を覚えたのは正直ここ最近。少し前から70年代の諸作をコツコツ聴いているのですが、90年代からのアルバムについては、さすがに昨今のニュー・エイジ再評価がなければ触れようとすら思わなかったかもしれません。これは立正佼成会の出版部である佼成出版社(ここはレーベルとしてもかなり面白いディスコグラフィーを抱えているので、要再考証)から出た93年作。1992年に延暦寺根本中堂において天海大僧正三百五十回忌記念として、比叡山焼き討ちの犠牲者と織田信長の慰霊・世界平和を祈念して初演されたものを、後日スタジオ録音し直したもの。この当時、寺院での大規模奉納上演がブームだったこともあるのか、演奏自体への気合の入り方がスゴイ。70年代の諸作より更にコンシャスで、流石に海外リスナーですら敬遠しそうな紫煙舞うニューエイジ、というかエクスペリメンタル。リスニングには体力を要しますね。今後もリイシューされない予感があります。

 

3.

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アーティスト:宮下富実夫
タイトル:音薬
発売年:1994年
レーベル:BIWA RECORDS
入手場所:ディスクユニオン下北沢店
購入価格:108円
寸評:元ファーアウト、ファー・イースト・ファミリー・バンド宮下富実夫は、不肖柴崎による俗流アンビエントミックスでも取り上げたし、私個人でもことあるごとに言及しているので「またかよ!」という方もあるかもしれないのですが、すみません、またです。この人、80年代以降、それこそ誇張でなくJandek並のリリース数を誇っている(ニューエイジ作家異常多作説の一例)ので、見つけるたびにダラダラと買ってしまうのですが、そのどれもが素晴らしいのですよね…。これは、<音の薬>、『音薬』と名付けられた94年作で、いつもながら自身の演奏によるシンセサイザーのステディかつゆったりしたビートとドローン、そしてユラユラと浮遊するフレーズが反復するお馴染みの世界なのですが、まあ良い。ジャケット通り7つのチャクラに連関した曲が収められています(知らんけど)。推薦の言葉として、ブックレットには聖路加国際病院日野原重明(R.I.P.)先生のお言葉入り。余談ですが、こないだ下北沢シェルターで観たnakayaan bandのライブ、ファー・イースト・ファミリー・バンドのようなジャム・チューンを演っていて凄く良かった。

 

4.

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アーティスト:BEERS
タイトル:MISTRESS
発売年:2016年、オリジナル 1983年
レーベル:徳間ジャパンコミュニケーションズ
入手場所:ディスクユニオン下北沢店
購入価格:640円
寸評:斉藤恵と橋本ヨーコによる男女デュオBERRSが1983年にBourbonレーベルからリリースした唯一作。和モノ・ライトメロウ〜シティ・ポップファンにはおなじみですが、一時期怒涛のごとくタワーレコードがメジャーレーベルと組んで自社限定流通でリイシューしたシリーズ「Tower to the people」中の一作として2016年に発売されたものです。MURO氏がミックスに収録したキラーチューン「壊れたワイパー」を聴きたくて購入したんだけど、このBeersのCD、最近やたらユニオンの店頭在庫に出現する気が…。私が今回買ったCDは開封済だったのでそういうことはないのかもだけど、タワーのダブつき在庫をユニオンへ転売して一斉放出しているのかな?と邪推するほどの遭遇率です。ということで、値段推移を見守っていたのだけど、1,000円切りつつしかもこの値段になっていたので購入。やっぱりなんといっても「壊れたワイパー」がダントツのズバ抜けで素晴らしいですね。盤石の新川博アレンジ。他曲もフォーキー・テイストとライトメロウの奥ゆかしい合体って感じです。大名盤とは言わずとも、素敵な佳作という程よい色香。書ききれないほどの編曲、演奏陣は以下。新川博(key, synth)、椎名和夫(g, vo)、岡沢茂(b)、山木秀夫(ds)、木村誠(perc)、Jake H. Concepcion(sax)、沢井原兒(as)、新井英治(tb)、数原晋(tp)、小林正弘(tp)、鈴木宏昌(key, synth)、松木恒秀(g)、長岡道夫(b)、富倉安生(b)、田中清司(ds)、ペッカー(perc)、渡嘉敷祐一(ds)、多グループ(strings)、巨匠グループ(strings)、斉藤ノブperc)、桐ヶ谷兄弟(vo)、伊藤広規(b)、岡本郭男(ds)。「ああ、レコードって売れていたんだなあ…」というめちゃ豪華な布陣。

 

5

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アーティスト:ボサノバカサノバ
タイトル:セカンド キス
発売年:1995年
レーベル:イースタンゲイル
入手場所:ブックオフ吉祥寺店
購入価格:500円
寸評:SHO1(田村庄一)と吉澤秀人による、現在は群馬県前橋市を中心に活動するユニットによるセカンドアルバム。発売元のイースタンゲイルというのは寡聞にして知らないレーベルだったのですが、ビクター傘下のメジャーということになるようです。元はチューリップやオフコースに影響を受けたフォーク調ニューミュージック・デュオということらしいのですが、音楽的にはそれらよりややライトメロウ寄りで、いうなれば…ブレッド&バターをややJ-POPオリエンテッドにした感じ。こういうものを掘るとき、私もすっかりlight mellow部マインドが発進する感じになっているのですが、そういう文脈からいってもなかなかの佳作じゃないでしょうか。その名前通りボッサ調の曲もありますが、実際の印象はもっとMOR的。アップリフティングなシティ・ポップを期待すると肩透かしかもしれませんが、南佳孝杉真理などを彷彿とさせる歌声の甘酸っぱさやアレンジのトレンディぶりに好感を抱かざるを得ないですね。(ちなみにジャケットに写っている女性は音楽に参加しているわけではないようです)。特にM1「Be Happy」、M5「涙のノーマジーン」あたり、良曲です。彼らは現在地元群馬県を中心に北関東地区で活発にライブ活動を行っているようです。ウィキペディアが異様に充実しており、ユニット、個人ともにアクティブなTwitterアカウントもあることも確認できました。

 

6.

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アーティスト:IZANAGI
タイトル:開雲来光
発売年:不明(1990年代後期?)
レーベル:NATURE SHOWER MUSIC
入手場所:ブックオフ吉祥寺店
購入価格:280円
寸評:これが今回最も注目すべき盤です。おそらく完全にインディーズな俗流アンビエントのため、例によってほとんどネットに盤自体の情報がないのですが、IZANAGIという愛知県を中心に活動するDIY楽家による一作のようです。このIZANAGI氏、今回初めて知ったインディーズ系シンセシストなのですが、無数の霊峰に登山を繰り返し、その山頂や山腹や峠で作曲を行いCD作品としてリリースし続けている固い固い信念をもったアーティストだということがわかりました。

www.geocities.jp

くどくどと私が言葉をつぐよりも、上記ホームページを観ていただくと氏の特異な活動について得心していただけるでしょう。誇張でもなく、これまでJandek並の(それ以上か?)のリリース数を重ねる超多作家なようで、コンサートについても様々な老人ホームやセミナー、フェスタで多数行ってきた由。この、HTML感あふれる初期インターネット的なホームページ・デザインに、とにかく私は感動しました。伝えたいことが、ある。これこそJPニューエイジの極北と言えるでしょう。本作は白樺峠、大台ケ原、乗鞍岳山頂などで作曲された自作曲を集めたCDで、歌謡性満点のペンタトニック・シンセサイザー音楽。完全に日本独自の文化ですね。最後に、最高すぎる氏の演奏風景を捉えた写真を貼っておきます。

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CDさん太郎 VOL.2 2019/2/10購入盤

 こんばんは。本記事は、<次のレアグルーヴはCDから来る>を標語とする(?)、CD特化のディグ日記シリーズ「CDさん太郎」のVOL.2になります。

初回たる前回、べらべらと序文で文字を連ねすぎたので、早速本題へ移りたいと思います…。(本シリーズ要旨、並びに凡例は第一回目のエントリをご参照ください)

shibasakiyuji.hatenablog.com

 

今回は、2019/2/10に東京新宿界隈で購入したCD群について紹介します。

 

1.

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アーティスト:YUTAKA
タイトル:Brazasia
発売年:1990年
レーベル:国内盤レーベル ビクター音楽産業株式会社、オリジナル GRP RECORDS
入手場所:ブックオフ新宿 東口店
購入価格:200円
寸評:1952年東京生まれ、セルジオ・メンデスに影響を受け音楽活動を開始したYUTAKAこと横倉裕氏が米GRPレコードに吹き込んだブラジリアン・フュージョン作。バンドNOVOでの活動後、単身渡米し78年にソロデビューしていた氏ですが、その後はレコードリリースとは疎遠になりようやっと88年にセカンド作を出して後、その好評の波に乗ってリリースされたのが本作。GRPといえばデイブ・グルーシンとラリー・ローゼンによるレーベルで、フュージョン界における名門。数年前に大規模な国内盤CDリイシューがあり、本作もそのラインナップに選ばれていたのですが(わたしがこの盤の存在を知ったのもその時)、今回購入したのは発売当初にリリースされた旧規格盤です。内容はというと、実はあまり期待せずに買ったのですが(過去何度か本盤をショップで見かけたのですが、スルーしていた)、相当に素晴らしいです…!フュージョンが爛熟しきったあとにリリースされたということもあり、サウンド・プロダクションの微に入り細に入ったクオリティはもちろんのこと、全てYUTAKA本人によるというオリジナル曲の出来映えがっ!特にM1アルバム・タイトル曲の快感よ…。ハイファイでクリアなアッパークラス系サウダージ。本人のボーカルのジェントルで青々しい(この時点で既におじさんですが…)魅力。そして、安易なジャポニズム的記号性に回収されることのない、YUTAKA自身の演奏によるシーケンシャルな琴の響き。ここに<バレアリック>を感じるのはさして難しくないでしょう。他曲もかなり良い。見つけたら迷わず買われることをおすすめします。多分相当に安価で手に入るでしょう。

 

2.

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アーティスト:CLAIRE HAMILL
タイトル:VOICE
発売年:1986年
レーベル:国内盤レーベル PONY CANYON、オリジナル CODA RECORDS
入手場所:ピュアサウンド新宿店
購入価格:108円
寸評:新宿駅東口を出て徒歩2分、路地裏に佇むエロビデオ屋<ピュアサウンド>新宿店の店頭安売りコーナーにて発見。ブックオフが正常値付け傾向にある今、エロビデオ屋の店頭は最後のカストリ・サンクチュアリなのかもしれません。といいつつもまあ、ニューエイジリバイバル華やかりし今にありつつも、このアルバムをオリジナルリリースしているレーベル<CODA>の各作は、どこにいっても基本投げ売り対象になっている印象がありますね。元々72年にアイランドからデビューしていた英フィメールSSW、クレア・ハミルが(アイランド時代、そしてキンクスのレイ・デイヴィス主宰「コンク」からリリースした諸作は英フォーク・ロックの逸品としてどれも相当に素晴らしいです!)、UKニューエイジの先駆的レーベルである前掲の<CODA>からリリースした作品。タイトル通りクレア・ハミルのボーカル多重録音を主体にした作品で、賛美歌やグレゴリオ聖歌などに通じる宗教的なテイストがありつつも、曲によって電子楽器が織り込まれ、低体温的でストイックに展開していく様は、ニューエイジというよりまるで、コクトー・ツインズなど初期<4AD>レーベル作品のようですらあります。ということで、色々な角度から現在再評価できるアルバムだという気がしますね。

 

3.

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アーティスト:作山功二
タイトル:MUSIC FOR DENTISTRY vol.1 YUME
発売年:1990
レーベル:ABER
入手場所:ブックオフ荻窪
購入価格:500円
寸評:相変わらずコツコツと掘っている俗流アンビエント、情報欠乏ということでいえば他ジャンルの比ではなく、購入にあたってはほとんどギャンブルに近い感じなので、家に帰って聞いてみて「アチャー!」ということもままあるんですが、このCDも完全にその部類でした…。タイトル通り歯医者さんの待合室〜治療室での使用を想定されたCDなのですが、タイトルにひっぱられてブライアン・イーノシンセサイザーアンビエントを想定した私が愚かでした。実際は実にピアニック(ピアノ音楽的。おもにマイナー・ペンタトニックスケールを用い、主情的旋律、歌謡的な感傷が伴うことが多い。この形容詞は主に悪口として使っています…)なアコースティック・イージーリスニングで、今の感覚からすると箸にも棒にもかからないものでしたね。ジャド・フェア的なジャケットなどからヘンに期待してしまったのですが…。作者の作山功二氏はアニメ音楽界などでも活動し、どういう訳なのか由美かおるなどが所属する芸能プロダクション「トゥ・フロント」の所属アーティストらしいので、これ以上悪口を言うと僕が消されてしまうかも知れません。歯科医の方で本CDを買い取りたい方募集します。

 

 4.

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アーティスト:Frank Kawai Hewett
タイトル:Makalapua ‘Oe
発売年:不明、オリジナル 1982年
レーベル:Prism Records Hawaii
入手場所:ブックオフ新宿西口店
購入価格:100円
寸評:ハワイアン・フラダンスの普及に尽力し、ここ日本でもその伝道師として30年以上活動を繰り広げるらしいFrank Kawai Hewett氏による82年作…という左記情報はなんとかネットに転がる情報をつなぎ合わせて見えてきたものなのですが、実際その筋(フラ)ではかなりの重鎮らしいです。ハワイ伝統音楽といえば、ライ・クーダーらが啓蒙したギャビー・パヒヌイなどのスラックキーギターミュージックを彷彿とするわけですが、フランク氏の音楽にもいちおうその系譜を強く感じます。けれど、なんというか…どこか拭い難い俗的ニュアンスが溢れ出ており、抹香臭さ〜!おそらくこの中古CD、日本で薫陶を受けた生徒さんのどなたかが売り払ったものなのではないでしょうか?こうしたCDがピカピカの発売時に一般流通に乗ったとは考えづらく。だからこそ、ブックオフをはじめとした中古CDの<墓場>には普通では手に入らないものが手に入ってしまうというスリルがあるんですが…。

 

5.

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アーティスト:大橋節夫
タイトル:ハワイアン・ベスト・アルバム
発売年:1990、オリジナル1985年
レーベル:キングレコード
入手場所:ブックオフ新宿西口店
購入価格:108円
寸評:ハワイ繋がりでもう一作。日本戦後ハワイアンの代表的スティール・ギター奏者「オッパチさん」こと大橋節夫による85年キングレコード吹き込み。戦後直後の第一次ハワイアンブームの立役者ともいえる彼だが、この時期の前にはむしろムード歌手としても活動していたこともあり、本作は久々のスティールギター・インスト作との由。「ハワイアン」が覇権を有した40年代〜50年代の空気を懐かしみながらも、リラックスムードに溢れた気概あるイージーリスニング作という印象(まったく印象に残らないおからこそ、ELMとして素晴らしい)。この匿名的なジャケ、匿名的なタイトル、それらすべてが当時のキングレコードによる牧歌的マーケティングを物語る、要するに中高年向けノスタルジーにまみれた作品なのだけど、こういういかにも<聴きどころのない>ものに無理矢理にでも価値を見出すというのは、甘いユートピア幻想を惹起しながらも非常なディストピアを招致する2010年代末期的ペシミズムが己の中にあるんだろうなー、思う。こういう俗流ハワイアンとアポカリプス的世界観の親和性ってすごくあるよなー…そういうの既に誰かやっていた気がするけど、誰だったけ??と反復&思案していたら今気づいたけど、VIDEOTAPEMUSICですね。

6.

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アーティスト:Don Paris * Ilona Selke
タイトル:The Best of Mind Journey Music 1 & 2
発売年:1993年
レーベル:Living From Vison
入手場所:ブックオフ新宿西口店
購入価格:100円
寸評:これぞガチ実用系ニューエイジ。Don Paris(一瞬、あのイノセンス・ミッションのDon PerisがこんなCDを出していたなんて!と思ったのですが、全くの別人でした)と、Ilona Selkeというヒーラーコンビがカセットでリリースしていた実用メディテーション音源からベストテイク(誰の基準??)を選出したCD。Discogsにも載っていない、ベリー・ディープ(逆に言えばめちゃくちゃに俗的)なCDです。こういうリアルにヒーリング・セミナーの現場で使用されていたであろう音楽がなぜ今極東の国のブックオフで売られているのを考えるのは非常に興味をそそる問題です。おそらくですが…やはりこれも独自の流通ルートを持っていたと考えるのが妥当じゃないでしょうか。日本にフォーマットとして輸入された癒し系自己啓発の現場で使われ、生徒が教材として半強制的に買わされたのかもしれない…とかとか…当時の状況は想像するしかないのですが、内容的には同時期の日本俗流アンビエントにそのまんま通じるようなチージーニューエイジで、実に倒錯的な好感を抱きます。シンセのドローンとアルペジオが適当に寄せては返し寄せては返し、そこにロッキッシュなソリッド楽器が参画。初期vaporwave作品が参照したチージーニューエイジ・テイストというのは、こういったものだったのかな。

 

7.

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アーティスト:SHADOWFAX
タイトル:THE DREAMS OF CHILDREN
発売年:1986年、オリジナル1984
レーベル:国内盤レーベル Canyon Records、オリジナル Windham Hill Records
入手場所:ブックオフ新宿西口店
購入価格:100円
寸評:またしてもニューエイジで恐れ入ります。しかも名門Windam Hill作品。Windam Hillといえば、世界中を巻き込んで(特に日本を巻き込んで)旋風を呼び、オーナーのウィリアム・アッカーマンはじめ、ジョージ・ウィンストンなどによる大ヒット作を多く抱える名門ですが、これまで、その市況的価値におけるバカにされぶりも相当なものでした。すくなくともこの数年前までは。しかしながら、ニューエイジリバイバルやらネオ・クラシカルの興隆でその真価が再発見されると(それはまだ途上としか言えないけれど…)、ようやっと批評的言語で語られるようになりはじめたと感じます。今までは主に日本人ユニットである<インテリア>にばかりその言説が集中しているきらいがありましたが、カタログ中でも、ようやっと非アコースティックな作品に正当な陽の目が当たり始めている気がします。その中でも、このシャドウファックスは、親しみやすいポップ性などからして、今にも再評価されそうな予感がありますね…。構築的バンドサウンドと闊達なシンセサイザーの合流。そして電子リード楽器の実に<時代がかった>味わい。この3rdアルバムでは、特にM2が素晴らしい。私の2018年ベスト作の一枚、Arp『Zebra』に通じるチェンバー・ニューエイジ。他にも両曲沢山あり。ちなみにジャケット絵は『南回帰線』『北回帰線』のヘンリー・ミラーによるものらしい。

 

第三回に続きます…。 

CDさん太郎 VOL.1 2019/2/9

 相変わらずCDを買っています。今さら。いや、今だからこそ。

 サブスクリプション配信サービスの定着期を経て、ヴァイナル復権も定着した昨今、かねてより喧伝されているように、CDという存在は既にその役目を終えつつあるものとして見做されています。かくいう私も、以前よりも新譜をCDで買うということは頻繁ではなくなりましたし、かつてはあんなにも熱心に集めていた中古CDへとんと興味を失った時期もありました。

 さらに、2016年の初頭には、久々の引越しという個人的な状況も重なって、所持しているものの内たぶん1/5位に及ぶおよそ4,000枚ほどのCDを売却処分をしたりしたのでした。「どうせサブスクで聞けるでしょ」というのと「何かを所有する」ということへの疲れ(往々にしてものを集めてきた人は30代を中心にそういう倦みを経るらしいですが…)から、ぐわっと処分してしまったのですが、案の定、今になって後悔していたりします。それは、「あの資料が無い!どうしよう! 」といったようなリアリスティックな困難がそう思わせるものでもありながら、何よりもまず「あ、CDって…やっぱり好き…だったんだな」っていうことが、今CDが滅びそうになっているからこそ再帰的に湧き上がってきているということからくるのかもしれません。そういう感慨って反動的なものだとされるかもしれないけど(実際自分でもそう思うこともあるけど)、昨今のアナログブームだってもとはそういう再帰的な渇きのエモーションからきていることは自明だし、いつCDにそういうモードが訪れてもおかしくないとも思っています…。

 まあ、CDというものが単なる旧式の記録メディアとして見做されつつある今、そこへわざわざフェティッシュを見るという意味においては、古色蒼然としたサブカル的B級趣味の幻影を再び喚起してしまうかもしれないことも承知しています。しかし、もしそれだけだとしたら、僕はむしろCDなど触りたくもないし、なんとなればそこに格納されている音楽すら聴きたくもないのだけど、めちゃくちゃワクワクさせてくれる(?)ことに、昔にリリースされ今やその存在すら忘れられてしまったようなCD作品でしか触れることのない音楽がまだまだ世に中には大量に存在することも事実なのです。

 かつて、レアなヴァイナル作を指して「未CD化作品」という言い方があったのですが(懐かしい…)、今となっては、「未サブスク配信」、もっと敷衍していえば、YouTubeなど含めたネット空間で試聴することすら、あるいはその概要すら不明な「ネットにあたっても情報不明」なものが沢山あって、それらが今後もしかしたら独特の価値を形成していく可能性を感じたりしているのです。「次のレア・グルーヴはCDからくる」。そうなのです、というかおそらく、そうであるしかないと思っています。今や、一番ディープな<未知>はネット空間以外(=あの頃のCD)にあるのだから。

 ネットを徘徊する先駆的ディガー達が、そこ(ネット空間)に飽和を嗅ぎ取ったら、じねんとネットの外側(=フィジカルメディア、あるいはそれらが捨て置かれているショップ)を探索するようになるしかないし、実際今そういう動きが起きていることは、至るところで語られ始めていることでもあります。(Vaporwave的価値転倒以降のディグしかり、light mellow部しかり、手前味噌ながら俗流アンビエントしかり…)

 そんな中、今実際に同時多発的に起こりつつ有る「CDのディグ」を、既存メディアに倣った習熟的筆致によるレビューというカタチでなく、もっと未整理のまま乱脈的なままに、ディグのその瞬間、その場、<CDを買う>という体験の埒の無いドキュメント性を、雑多にネット空間へひたすら置いていく、そういうものがあったら面白いのではないかと(少なくとも自分にとっては)思っているのです。その非洗練とブリコラージュ性、そしてあるいは、聴取というものに意味が付与される前の、タイニー且つ鉄火場的リスナー空間。CDを買って自宅に帰り、プレイヤーに載せて、プレイする、あの連続的で、<音楽ソフト>という存在に個人的時間を侵食される感覚…。そういったものが、時に駄菓子のような値段で棄て売られているCDを今買うことで、むしろ瑞々しく立ち上がること。ほんの少しでもいいので、それらを描き出し、そういうのが好きな方々にご笑覧いただければ良いなと思っています。あわよくばみなさんもCDを掘られますことを。

 前置きが長くなりすぎました。

 第一回目は本日2019/2/9に無目的に買ったCDから行きましょう。

 

※凡例として

・ジャケット写真、アーティスト名、タイトル、発売年、レーベル、入手場所(場合によってはシチュエーションも)、購入価格を記載の上、寸評を書いていきます。

・アナログ盤もDAISUKIなのでもちろんよく買うんですが、ここでは上述の意図通り、CDに特化します。

・少なくとも一度は耳を通した状態で書いていこうと思うので、購入記録としてリアルタイムに更新することが難しい場合もあり、紹介CDが購入の時系列と前後するかもしれません。

・主に新譜はサブスクリプション配信やLP購入で鑑賞する癖がついてしまったので、おそらくこのシリーズにはほとんど登場しません。

・作品レビューではなく記録的性質が大きいので、情報下調べなど甘い部分が出てくるかもしれません。誤記載など、忌憚なく指摘いただければ幸いです。

 

1.

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アーティスト:Steven Halpern & Dallas Smith

タイトル:Threshold

発売年:1987年(オリジナル1984年)

レーベル:国内盤レーベルPONY CANYON、オリジナルHalpern Sounds

入手場所:ブックオフ吉祥寺店

購入価格:400円

寸評:米の哲学博士兼マルチ音楽家、Steven Halpernは、70年代半ばから尋常でない数(誇張じゃなくてJandekの如し。ちなみに75年リリースの初期作「Spectrum Suite」は一般向け音楽療法作品の先駆け的名盤として名高い)の作品をリリースしており、見つけるたびにダラダラと買ってしまうのですが、米ニューエイジ的抹香臭さと、シリアスな電子音楽の折衷という感じで、どれも素晴らしくて。これはフルート奏者Dallas Smithとの共演盤で、氏の作品の中でもかなりクオリティの高いものの一つだと思います。シンセシストとしてより音楽療法実践家としての評価がせり出ている感のあるSteven Halpernですが、純粋に鑑賞音楽としてもとても好ましい米版俗流アンビエントかと思います。後期タンジェリンドリームやクラウス・シュルツェ的ジャーマンプログレ感もあり、なかなかの一作。今これを書きながら聞いてますが、いい意味でまったく耳に入ってきません。こういうものが国内盤発売されていた時代、それが80年代後半というもの。

 

2.

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アーティスト:V.A.

タイトル:Electronic Toys (A Retrospective Of 70's Synthesizer Music)

発売年:1996年

レーベル:Q.D.K. Media 

入手場所:ディスクユニオン吉祥寺店

購入価格:480円

寸評:これは嬉しい!70年代ヨーロッパのライブラリー系レーベルに残されたシンセサイザーを駆使した背景音楽を、モンドミュージックリバイバル以降にコンパイルした作品。お色気ジャケもいかにも90年代からみた「あの時代」的質感。Dave Vorhaus(White Noiseのあの人)やRon Geesinなどのロックファンにも名前の通った作家から、ほとんど無名の方々まで、キッチュかつスペーシーなチューンをコンパイル。Q.D.K. Media は、ドイツの再発レーベルで、ポップとアヴァンの間を行くような作品を多くリイシューしています。これはまさに、昨年翻訳され話題になった、マーク・ブレンド著、オノサトル訳『未来の〈サウンド〉が聞こえる 電子楽器に夢を託したパイオニアたち』や、名著『エレベーター・ミュージック』に通じる世界ですね。それにしても、一言でライブラリーといってもかなり多様で(あたりまえなのだけど)、シリアスなものから、コミカルなもの、浮遊感溢れるシンセポップまでかなり多岐にわたる。そういった各曲がはいっているオリジナル・アルバムがCDでストレートリイシューされることはまあ稀なので、こういうコンピに頼るしかない状況もあるんですが…。

 

3.

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アーティスト:V.A.

タイトル:デモテープ1

発売年:1991年(オリジナル1986年)

レーベル:MIDI

入手場所:ディスクユニオン吉祥寺店

購入価格:480円

寸評:言わずとしれた、82〜85年にかけて(その後散発的に復活)坂本龍一がナビゲートを努めていたNHK-FMサウンド・ストリート」に投稿された素人の方々のデモ音源の中から、優秀なものをコンパイルした盤。プロデュースは坂本龍一矢野顕子。この盤が著名なのは、アマチュア時代の槇原敬之テイ・トウワの音源が収録されていることからでしょうね。実際、この二人の作品クオリティは明らかに抜きん出いる…。他色々な方々が、ローファイポップ、RCサクセション風、インディーテクノポップ等に挑戦しており、MIDI普及期の直前YMOブレイク後の日本初期宅録風景を捉えたものとして貴重。これはYMOファンなどにとっても有名な盤なのですが、普段V.A.コーナーを漁らないので、その存在を近年知ったのでした。以前、長野まで車でドライブしていた際、助手席に乗っていた友人の新間君がかけてくれて、それ以来いつか買いたいなと思っていたものを今日やっと…。

 

4.

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アーティスト:尾島由郎

タイトル:ハンサム

発売年:1993年

レーベル:Newsic

入手場所:ディスクユニオン吉祥寺店

購入価格:480円

寸評:これは今日一番の、というか今年に入って一番のラッキーアイテムかも。ジャパニーズアンビエント再評価が花盛りであることはもはや既知のことかとおもうのですが、この尾島由郎氏の作品への国内外から最注目もすごいものがあって。LP含め、ほとんどプレ値以下での入手を諦めているのが現状なのですが、こんな値段で転がっているなんてー!しかもブックオフとかじゃなくて、ディスクユニオンで。ありがとうございます…!ちなみにDiscogsの参考価格は1万円弱ですね(まあ、サブスクでも聞けるのですけども)。内容としては氏の作品の中でもかなりヘン、悪くいえばとっちらかってる感じなのですが、それはゲスト参加陣の多様さによるものでもあって、コシミハル (voice) , 柴野さつき (piano & voice) , 周防義和 (guitar)中野テルヲ (synthesizer & sampling) , 菊地純子 (dance step) , パトリス・ジュリアン (voice) 他というメンバーが立ち代わり各曲に登場する形です。冒頭、いきなり時代がかったテクノがおっぱじぱってしまい相当面食らうのですが、アルバムが進むに連れて尾島氏ならではの深〜いアンビエント世界が現出。特にコシミハルの語りを伴う曲の素晴らしさよ…。これ書きながら一度寝落ちしました。

 

5.

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アーティスト:長山洋子

タイトル:オンディーヌ

発売年:1987年

レーベル:ビクター音楽産業株式会社

入手場所:ディスクユニオン吉祥寺店

購入価格:480円

寸評:現在は演歌歌手として活動する長山洋子がアイドル時代にリリースした3rdアルバム。88年の『F1』がシティ・ポップ名盤として有名(昨年のレココレのシティ・ポップ特集でも枠を与えられていたし、light mellow部のブログでも取り上げられていたような記憶が)な彼女ですが、これはどうなんだろうなーと思いながら購入。はっきりいって、シティ・ポップとしては若干肩透かし感もあるのですが…むしろシンセポップ歌謡ととらえるとなかなかの名作では(実際シンセのサウンドはかなり上質)!?作・編家陣も松岡直也西平彰武部聡志という一瞬メロウを期待させる感じなのですが、あんましそういうサウンドじゃないですね。私は大のフリートウッド・マック・ファンなので、「ビッグ・ラヴ」のカヴァーが小嬉しい。M5「マザーズボーイ Wow Wow」は同時期のマドンナ的フィールあるな、とおもったら、M6では実際に「ラ・イスラ・ボニータ」を地味カヴァー。M10「アリス」は後もう少しでバレアリックになりそうな寸止め感のあるトラック。タイムスリップして「もっと大胆に!」とサウンドディレクションしたい。この前後の彼女のアルバムはユーロビート調らしく、本作は「落ち着いた」作風なのだそう。一旦アダルト路線にチャレンジしたけど、やっぱりバブル的ハイエナジーサウンドへ回帰したという物語。

 

次回へ続きます…。 

 

 

〜ドリームド・ポップ〜 音楽<再評価>の昨今 竹内まりや「Plastic Love」によせて

 例えば、60年代末から70年代初頭にかけてリリースされた、<オルガン・ジャズ>の大量のカット盤。例えば、当時は無名に終わったファンク/ソウル・アクトによる知られざる唯一作。そういった埋もれた音楽に日の光を当てたのは、そこから様々なドラム・ブレイクを選り探した初期ハウスやヒップホップのDJ達であり、より本格的には何より80年代後半から勃興した<レア・グルーヴ>の推進者達だった。

 

 思えば、レコード産業の黎明期から、ポピュラー音楽の推進エネルギーというのは常に、<新しいもの>を追い求めることであり、同時に<古きもの>を温めることでもあった。エルヴィス・プレスリーが古いゴスペル・ソングやヒルビリーから霊感を得ていたこともそうだし、もっとわかり良い例でいうと、60年代初頭にUKの若者たちが、米国産の初期ロックンロールや旧いブルーズをリバイバルさせたこともそうだった。自らの外側(ここでは米国)から到来し、それによって参照すべき音楽の歴史と地図、そして自己との距離感覚を表現者たちが内在化していったその<ブリティッシュ・ビート>というムーブメントは、ポピュラー音楽史上稀に見る規模で立ち上がった<再評価>や<リバイバル>と捉えることもできる。

 これは、アイデンティティを異にする<他者集団>との出会いを契機とすることで、自らの拠って立つところを再認識し、更にはそこから歴史意識が立ち上がっていくという運動の一つの現われでもあるかもしれない。だから、何かを<再評価>するといことは、そうやって<他者>との出会いを契機にして、反芻的に過去の輝きを発見するという運動という一面もあるのではないだろうか。

 

 さて、冒頭のようなレア・グルーヴなどの再評価ムーブメントを通り過ぎてきた後、私達には巨大なもう一つの世界、インターネットが与えられた。このインターネットというものは、様々な他者との出会いを可能にしてくれたし、高速に大量の情報へのアクセスすることを可能にしてくれた。一方で、溢れ出る他者の群れと、そこで飛び交う大量の情報は、時に私達を疲弊させもしてきた。こうした<他者の飽和>は、ポピュラー音楽においても、それまでの単線的なポップ史観(ジョン・レノンマイケル・ジャクソンなどを生み出してきた、ヘゲモニーとしての<スター神話>を駆動してきたもの)を日々攻撃し続けてきたのだった(カート・コバーンの逝去とワールド・ワイド・ウェブの興隆がほぼ同時期であったということは、語るのが躊躇われるほどわかりやすい事実だ)。

 その代わりに現れたのは、他者同士が個別に価値を提示し合うようでいて、その実は価値を相殺し合う、全体としては<ポップ>を一方向的に推進する力の衰微という状況だった。<新しさ>を推進してきたエンジン(価値体系)は、その歯車へ油を差されないままになってしまった。「否、<新しさ>はまだ死んでいない」という議論も勿論成り立つであろうが、それまで覇権を保ってきた<新しさの絶対性>は今、ありうる選択的な価値の一つに引き据えられてしまったのだった。そういった中、今あらゆるところで観察されるのが、これまで馴染みのなかった形の<再評価>である。

 

 インターネットが持つアーカイブとしての性質は、今世界中でYouTubeに投稿されている音楽ファイルの無尽蔵な数を考えると、もはやそれを統御する人格を(googleというグローバル企業が物理的には管理を担いながらも)想像することすら困難になっている。この広大な動画の宇宙にあって、かろうじて物語線を引きうるのは、誰か属人的な意味における管理者ではなく、AIとそれによるアルゴリズムであるという事実は、それまでの<再評価>運動においてお馴染みだった<ディグ>という活動の正統性を相対化してしまったかのようだ。なにがしかの情報に<能動的に>アクセスすることで、レア盤を求めネット空間を<クエスト>していくという喜び。そこにはルールがあり、流儀があり、攻略法があった。欲しいあのレコードを手に入れるために、あのサイトで情報を収集して、あのディーラーとやりとりをして、というように。もちろんそうしたサイクルが今も閉じているわけではないが、今起こりつつある新しい<再評価>のフィールドにおいては、取りうる手段の一つになってしまった。

 今起きている<再評価>は、より脱文脈的になってきている。なぜなら、ある特定のジャンルについての見識、歴史的見取り、(もっと即物的な次元で言えば、その盤の価格相場など)を蓄積していくことが<再評価>のプレイヤーになるためのメンバーシップだったのに対して、今ではそういった蓄積を介することなく、<AIに仕組まれた偶然>の出会い(SpotifyYouTubeに仕込まれたアルゴリズムがレコメンドしてくる<未知>のものとの出会い)によって軽々と、自らの趣向にフィットしつつも、それまでまったく知り得なかったものが浴びせかけらるようになっているからだ。それを<発見>するには、自らが培養してきた嗅覚・見識も不要だ。ただ繰り返し自らの<好み>をスキャンさせるだけでいい(お気に入りの動画を繰り返し見る、などを通して)。

 

 さて、竹内まりやが84年にリリースしたアルバム『VARIETY』に収録されている「Plastic Love」のYouTube動画(*1)は、そうした新しい<再評価>の現象を象徴する存在だ(った)と言えるだろう。

 それまでの2年半の沈黙を破り、彼女がいよいよ<大人のアーティスト>へと変貌を遂げたとされる『VARIETY』は、全てを自らが手掛けたソングライティングの充実と、山下達郎の全編プロデュースによる鉄壁のサウンドも伴い、予てよりファンの間ではマスターピースとして知られていた。その中でも絶品のミディアム・ファンク「Plastic Love」は特に人気の高い曲だった(85年には「Extended Club Mix」として12inchがカットされている)。とはいえども、その人気というのはあくまで日本国内の既存ファンの範囲内においてであった。

 しかし、この「Plastic Love」が、2017年にある国外ユーザーによってYouTubeに投稿され、1年ほどを経るとまたたく間に世界中で2,000万回以上という驚異的な再生数に達していた(削除直前では2400万再生に達した)。竹内まりやがキュートな笑顔を投げかけるそのサムネイル画像(元は7icnhシングル「Sweetest Music」に使用されていたポートレイトなのだが)が、やたらめっぽうオートプレイの「次の動画」欄に表示されるのを記憶している読者の方も多いのではないだろうか(それくらい多数再生されているからサジェストされるのか、あるいはそれくらいアルゴリズムがサジェストしてくるから再生数が膨らんだのかを判別するのは困難なように思われるが、実態としてはその両方がインフレーション的状況を招いたとするのが適当だろう)。

 これは、多くのユーザーによる楽曲への純粋な評価・興味ということに加え、勿論ネット発のVaporwave〜Future funkのムーブメントとも濃密に連動しており、<元ネタ>であるジャパニーズ・シティ・ポップへの関心と再評価を象徴する現象ともされる。これまで「Plastic Love」は様々な記事で言及されたり、あるいはカヴァーされたり、ミックスされたり、そのサムネイル・ビジュアルを改変した画像が流通するなど、まさにインターネット・ミームというべき拡がりを見せたのだった(*2)。コメント欄は、ほとんどが日本国外からのもので埋め尽くされ、極東の<未知>のポップ・シンガーによる逸曲を称賛するものが占めた。

 

 このように、それまでドメスティックな範囲を中心としたプロモーションや販路戦略しか行わず、著しく国外での認知度が低かった日本のポップス(とくに70年代〜80年代の所謂<シティ・ポップ>)は、YouTubeを介した再評価ムーブメントにおいてその恩恵を最も享受したものの一つであるだろう。裏を返すならそれは、ドメスティックな音楽が世界中に浸透していく可能性を示すものでもあったのだった。しかも、このシティ・ポップというものは、Vaporwaveが初期からその思想に胚胎していたような、<未体験>たる過去・未来を懐かしむという屈折的なノスタルジアと非常に相性が良かった。なぜなら、世界中の(当の日本人を含めた)ミレニアル世代は、この極東の国が経済的に光り輝いていたバブルの時代を知らないし、その未来への楽観を、享受はおろか、リアリスティックなものとして想像することすらできないのだから。だからこそ「Plastic Love」は、インターネットの向こう側からやってきた、<かつて誰か(=他者)が夢見た失われた音楽>として、それまでこの楽曲を知らぬ者の間で、ふてぶてしいミームとなっていったのだ。ノスタルジアは、追体験できないからこそその効力を増すのだとしたら、他者が描いた夢にこそ、あなたはそれを痛切に感じないわけにはいかない。

  

 昨今の<再評価>は、かつて他者との出会いによって駆動されてきた歴史性の内在化という地平を超え出て、今や、他者がかつて描いた夢との邂逅を通して脱文脈的に繰り広げられている。ハイパー・モダンなネット空間の中でAIのアルゴリズムが呉れてよこした<偶然>と、それに伴う特定の表徴のミーム化、そしてノスタルジアの加速度的な共有によって、かつて誰かが描いた夢が投影されたポピュラー音楽=<ドリームド・ポップ>の復権が、大規模に起こっている。

 今後も、本稿に示した視点から、今観察される新しい<再評価>について、様々なジャンルや具体的作品、アーティスト名を交えながら考えていきたい。

 

 

(*1) 残念ながら当該動画は、昨年12月末、著作権侵害の申立てにより削除されてしまった。その時インターネット上ではちょっとした<追悼>騒ぎになった。現在では、他アカウントからいくつかのヴァリエーションがアップされている状況。これらの中にはアップ後1ヶ月足らずで100万回再生を超えるものもあり、その動画概要欄にはアップ主によってただ一言「Do not delete…」と書かれている。

 

 

(*2) 数ある「Plastic Love」現象考証の中でも特に秀逸なのが、昨年7月にYouTuber、Stevemによってアップされた「What is Plastic Love?」という動画だ。<あの時代>の日本をザッピングしたウキウキするビジュアルを配しながら、同曲の認知拡大の大きな転機となったReditt上のスレッドなどにも触れ、丁寧に解説している。

 

  また、つい先頃、こうした「Plastic Love」を巡る物語の中で一つのクライマックスとも言うべき事件(?)が起きた。tofubeatsによる同曲のカヴァーがデジタル・リリースされたのだ。実は2012年にも同曲カヴァーをBandcamp上にアップしていたという彼だが、一連の「Plastic Love」バブルを経てから改めてリリースされた今回のver.は、オリジナルへリスペクトを捧げつつも今様のDTMイズムがふんだんに詰め込まれており、どこかナイーブなそのテクスチャは、YouTubeアルゴリズム文化への返礼でありエレジーにも聞こえる。

<ニュー・エイジ>復権とは一体なんなのか 2

 本稿は、昨今巻き起こっている<ニュー・エイジ>復権についての論考第二弾である。前回の記事では、ミシェル・ウエルベックによる長編小説『素粒子』のエピローグにおける著述を参照しながら、現代の状況に呼応する(と思われる)その現象面と社会に内在しいるであろうその動機について論じたわけであるが、今回は更に立ち入って、一体、ポストモダン以降の現況においてどういったエートスがそのリヴァイヴァルを駆動しているのかといったことについて考えてみたい。

 

 そもそも、<ニュー・エイジ>とは、1960年代に西欧先進諸国において勃興した、既存の社会システムやそれが長らく引き連れてきた伝統的宗教観(主にプロテスタンティズム)への批判的視座の実践という側面がある。これは、いわゆる<ファースト・サマー・オブ・ラブ>を最初の起点として、いわゆるカウンター・カルチャーの内部から沸き起こってきた運動であり、既存宗教が結句のところは近代以降の西欧文明に顕現した資本主義体制と両手を携えながら進んできたことに対するベビーブーマー世代から異議申し立てであり、精神世界を今一度経済圏から不可侵たる<自由の領域>のものとして開放しようとする運動でもあった。

 そしてこの運動は、志としては上記のような思想が胚胎していたにも関わらず、その後の歴史がすでに明確に示している通り、様々なセクトを(逆説的に)生み出したり、あるいは非常に痛恨なことに、<スピリチュアル>という語例のもと、文化表象としての宗教文化を批判的に再考するという分化傾向・姿形を目指すという本来の性格を、その発展自体が凌駕していってしまうというダイナミズムに堕ちて行ってしまったのだった。

 今になって思うに、そもそもそういった被文化収奪的な脆弱性こそが<ニュー・エイジ>の抱える本質に近しいものであるとは思うのだが、本来は既存宗教文化から逸脱する(既存宗教文化への嫌悪ともいってよい)よるべない個人救済の欲求を<スピリチュアリズム>の固有化によって顕現しようとするものでもあった。しかしながら、60年代から生まれ育った<カウンター・カルチャー>は、いかにも俗流的な脱構築の手付きがその落ち度を象徴するように、そういった資本主義文化圏における新規(と、たまさか見做された)の言説の恐ろしいまでの被コード性・解消性の迅速さについてまったく鈍感であったために、またたく間に<ニュー・エイジ>を新たな産業として安々と鎮座させてしまったのだった。

 このことは、ベビーブーマー世代にあっては本来であれば寝耳に水のようなものであったろうと思うが、しかし皮肉なことには、ヒッピー→ヤッピーという推移が象徴的なように、むしろ自らが推進してきた劣化(=資本主義リアリズムの顕現としての、カウンターカルチャー俗流化)の純粋かつ摩擦のない移行でもあった。本来<ニュー・エイジ>は、精神分析学的に述べるならば、ベビーブーマー世代が称揚した<個人主義>の無意識レベルでの忘却であったかもしれないし、もっと大きくとらえるなら無意識レベルでの贖罪でもあったのだろう。西欧文明の内奥から発現しながらも、それへの倫理的な反駁として、菜食主義を実践し、カラーセラピーを行い、ヨーガを習得し、ニュー・エイジ音楽を聴き悦境に至るなどを志向しながらも、結句それが体よく産業化してきたこと、等々…。

 

 さて、ここまでが前段的議論である(次回以降の論考ではこのところは省かせてもらうはずだ)。その上でなぜ、そうした<ヒッピーの贖罪>であるところの<ニュー・エイジ>が今、この2010年代末にかけてふてぶてしく復権しているのかを見るのがこの連続論考の狙いであるわけだが、前提的議論は上記と合わせて前回のエントリーをお読みいただくとして、今回は、更なる議論に踏み込んでみたい。

 今、起きている<ニュー・エイジ>復権の特徴として強く挙げたいのは、むしろ上述のようなベビーブーマー個人主義や開放の時代のエートスが持つ副作用(それは<ニュー・エイジ>自体へも矛先を向けていたはずだ)の<アン・ヒップ>さを、<インディー>、<DIY>、もっと敷衍的にいうなら<オルタナティブ>を信望してきたであろうベビーブーム・チルドレン世代、あるいはポスト・ベビーブーム・チルドレン世代がどうやら率先して牽引してしまっているうように見える事実だろう。これは、歴史上はじめてのデジタル・ネイティブ世代であるベビーブームチルドレン世代、あるいはポスト・ベビーブーム・チルドレン世代のエートスと、現在先進諸国において出来している各思想地図とは切ってもきれないものと考えたい。昨今、現代思潮の重要局面として喧伝される<思弁的実在論>しかり、<オブジェクト指向実在論>しかり、それらが題目とするのは、ポストモダンにおける意味の価値乱立(=有意味的無意味性)の超克であったり、身体性への嫌疑、あるいは唯物論的世界把握のドラスティックな更新であったりするのだろうが、このことに現在の<ニュー・エイジ>復権の趨勢を当てはめてみたいのである(というか、当てはめないわけにはいかない)。

 アトムとしての個人と、その個人<性>を称揚し、それらの称揚の綾として社会を思い描くという(牧歌的解釈としての)<リベラル>が、ことほどまでに苦渋を舐めている昨今にあって、果たして我々世代(と思い切っていってしまおう)の誰が、(軽度のものだとしても)絶望を味あわない訳があろうか。公共哲学や熟議民主主義という、漸次的解法が示されたのも今や昔に遡らなければならない中で、あらたな思潮として<非人間>の分野を論じようとする思想それぞれが、全体主義からの蠱惑に耐え続けているように見えながらも、その実としては<オルタナ右翼>にあからさまな程に顕著なように、<オルタナ側からのオルタナの否定>によってその足元が侵食されつつあるように見える今、明晰な時代精神の診断を<時間をかけて=熟議>して、あるいはしようとすること自体が被加速的に追い抜かれてしまっていることは、多くの<良心的な>人々に非常な憂鬱を呼び込んでいる。

 さて、ではその憂鬱を解毒するには一体何が特効薬なのかといえば、当然のごとく効能目覚ましい対処法は今の所どうやら封じられてしまっている(ように見える)。せいぜいが<資本主義リアリズム>といったような現状分析のあたらしいツールを手にして、その定規を様々な場面であてがってみて正気を保とうとしたり、あるいは(自覚的な素振りを見せながら)露悪的な態度でもって物事を睥睨しようとするくらいなものである(重ねっていうまでもなく、こうした態度と<オルタナ右翼>を隔てるカーテンは極めて薄い)。

 

 こうした中、どうやら<ニュー・エイジ>が、そうした懊悩を軽微なものにしてくれる、あるいは鈍麻させてくれるオピウムとして機能し始めているのではないかというのが、本シリーズで論じたいところなのである。ほら、おそらく今読者諸氏は、<そんなことは既に自明なのではないか?>と思ったのではないだろうか? そう、このソフトリーな寄り添いこそが<ニュー・エイジ>復権の(非人格的な)戦略であり、巧みさなのである。

 アトムとしての個を称揚する(伝統的、同時にオルタナティブな意味での)<個人主義>の耐用年数と耐用負荷がどうやら飽和点を迎えようとしている今、その苦々しさからの逃避として<個人の>スピリチュアリズムとし予て発明された<ニュー・エイジ>の舟に再び搭乗してみること、それは、その搭乗の滑稽さを発見した<ニュー・エイジ>復権初期の皮肉屋達(音楽分野で言えば活動初期のOPNことジェイムズ・ロパティンやヴェクトロイドなどvaporwaveの先駆者達にあたるだろう)にとっては、揶揄と諧謔の混合した美しき自嘲であったかもしれないが、今やその舟は、登場人物の誰もが予想していなかったほどに大型化し、何気なくも堅牢になりつつある。

 我々が<ニュー・エイジ>復権を云々する時、そうした初期の批判的視点を忘れてしまってはいけないのではないかという脅迫感は、却ってその反転形として、そこへの没入を更に促すような蠱惑をも(極めてソフトリーかつ強靭に)同時に召喚してしまうのだ。はじめは露悪的振る舞いのつもりが常用化する薬物に似て。この段においては(今まさに我々はその段に居るというのが私の見取りだが)、諧謔はその毒を抜かれ、ひたすらにそこに残された耽美性がいきいきと復活しつつある。怖いほどに美しく。

 相対化の帰結として過去の亡霊が美しげに蘇ってくるという単純な見取りを超えた何か、それへと呼応する特質を、ニュー・エイジは元来的に備えてしまっている。なぜなら<ニュー・エイジ>というのは、そも脱集団化への試みであると同時に集団性への憧憬を棄てきれていなかったし、伝統宗教の否定という神秘性の相対化を志向しながらも個人が弄べる霊性(=脱身体性)としてのスピリチュアリティという性格を備えていたし、何よりも脱資本主義的な経済倫理を志向しながらも、資本主義リアリズムのもっとも異形な顕現としての性格がはじめから備わっていなものなのだから。

 今、誰もが追い求めてやまない<これではないなにか>は、<ニュー・エイジ>という卑近な<彼方>から召喚されつつある。

 

追記:

次回は昨年公開の米ホラー映画『へレディタリー / 継承』を参照しながら、<ポストモダン以降のオカルティズム>と<ニュー・エイジ>復権を論じたいと思います。