白塗 1

「白塗」

 

1.

 

 男は毎朝早朝に起床をする。大体5:306:00の間には起床する。起き抜けてすぐ、日課のジョギングのため、近くの小学校の外周を約34周する。今より年若の頃でも、朝のジョギングの習慣をもっていた男ではあったが、その時分では、周回数はせいぜい1周、稀に2周という程度であった。特に目標周回数を増やそうと明確な意図があったわけでもないし、これといった理由も見当たらないのにもかかわらず、どうしてか経年とともに周回数が増えているというのも、抗えない体力の減衰に鑑みるなら自らしても不思議な事ではある。まあ、結果的に心身の健康が増進するなら良いわけだ。「健全な精神は健全な肉体に宿る」と昔から言っている。健全な肉体が我が物としてあるのだから、良いことだ。

いつも寄る公園の小さな花壇では何かの花が花盛りである。この花壇の花だけではなく、男は花の名前に明るくはない。花に対しての博物学的な興味はない。けれど整然と植えられた花々の様子はこころを和ませる効果があると思っているし、花はそこにあってそれだけで確かに綺麗だし、男としてはそれで満足もしている。

 

 ペンキは町のホームセンターから、ありがたく拝受している。ホームセンターには石川さんという初老の男性のレジ係がいる。石川さんのシフトは水・木・土・日の週四日。一週間のうち他の曜日に石川さんがどのような仕事をしているのかについては町の誰も知らない。この国の今自分の経済状況では、ホームセンターのレジ係という仕事だけで口に糊することは難しいことは誰にでも分かることであるが、かといって石川さんがどのような暮らしをしてるかに興味を持つものはいない。だから、石川さんの生活の実態は、水・木・土・日についてしか知られていないし、それ以外の曜日の石川さんは、町にとっては、存在していないといっても良いのかもしれないかれど、男にとっては石川さんと水・木・土・日に会うだけであるし、その日に石川さんが元気そうであれば、男としてはそれで嬉しいことである。

 

「今日はどれくらい必要なの?ペンキ?」

ホームセンターの裏口に面した荷さばき場で、石川さんは男へペンキを渡す。

「うーん、今日はちょっと足を伸ばして久々に市電に乗って北井町まで言ってみようと思っているんです」と、男。

「いつもながら精が出ますね。北井町といったらずいぶん遠くだ。あの辺りは未だに不埒な連中が野良野良している、ちょっと危ない地区らしいじゃないですか」

「どうやらもう剥がれかかっているらしいということでね」

男はそういいながら、慣れた様子で石川さんから中ぶりのペンキ缶を受けとり、使い古してくたびれた黒いリュックサックにそれをしまう。

「ではそろそろ出発するとします」

老若男女取り混じった店員たちがだるそうにホームセンターへ出勤する中、男と石川さんは、荷さばき場に据え付けられた喫煙所でひそひそとそんな会話を交す。

「火の用心」と白いペンキで大書きされたブリキ製の赤い自立式灰皿から、吸いさしで中途半端にもみ消されたタバコの煙がか細く立ち上っている。

 

 この町から季節というもの失われて久しい。いや、例えば季節それ自体の変化は物理的な現象としては目にも現れてはいる。季節についての知識はこの町が開闢して以来、綿々と積み重ねられている。春になれば入学式が行われるし、夏になれば中華料理屋は冷やし中華をはじめるし、秋になるとメニューから外される。冬になればクリスマスソングが溢れる。けれど、その時に現れてくる「季節」というのもは、どこか露出趣味的な、自己完結的なものに感じられる。

 そういった意味では、男は季節について累々と言を弄するということもないし、入学式へ参加することもないし、冷やし中華は好物ではない(クリスマスには少し浮き浮きするけれども)。けれど、花の名を覚えずにも花を愛でられるように、季節について「知る」ところに、男は拘泥しないというだけだ。

 

 ペンキの練り方について男は一家言を持っている。粘性を高めれば乾きも早い。しかしその分、塗った側からムラが出やすいので、そのところに注意を要する。やわらかな食感を得るためパンケーキの生地を練る際にたっぷりとした動かし方でヘラを使うような仕方で、白いペンキを練る。空気成分をたっぷりと含ませるように、持ち上げた刷毛を、再びペンキに浸す際、

ねるべく薬鑵中の沢山のペンキに空気が触れるように、ドボンと浸す。かといって一方で

、気泡を含ませるようにしてはならない。そうした一連の動作の反復が男に安息をもたらしているのは事実であるが、先に「一家言」といったが、それを決して人にはひけらかすようなことは、勿論しないし、そもそも出来もしないことだ。他人の視線という「気泡」が、この作業に介入してきた途端、この仕事から粘性が消えてしまう気がする。しかしながらそしてまた、この動作を秘め事として奉ろうという気もさらさら無い。ただ、かき混ぜる。男は時々、この白いペンキが、白い飯に見えて来ることがある。よく炊けた、湯気の立つ、白い飯だ。白い飯は好物だ。

 さてペンキが練り上がったら、男はおもむろに、第一筆を書き記す。アスファルト上で色剥げたその白線の上に、刷毛で一気に、塗る。なにをするにつけても最初が肝心だが、この作業の書き始めほど、大事なものは他にあるまい。最初は10センチ、そしてそれに続いて20センチ、1メートル、5メートル、どんどんと塗り進めていく。

 

「おはようございますう。あらら、お久しぶりで。」

まだ学童が登校する時分のだいぶ前、自分の「持ち場」に早くからやってきた「緑のおばさん」が男に近づきそういった。

「これはどうもおはようございます。すっかりこの地区ではご無沙汰してしまって。」

と、男。

「いつもいつも助かっておりますのよ。わたしもこうして毎朝子どもたちの通学路にたっておりますと、あの交差点が車通がこのところ増えてきてキケンだとか、あそこの公園でで変質者(と、ここで「緑のおばさん」は顔をしかめてみせる)が出ただとか、いろいろなことが気にかかってくるものですが、この辺りに住んでらっしゃるみんなさんはそんなことをただお話をするだけで、だあれも自らそういうのに対処しようなんてのは思っていませんものね。え?そりゃ勿論お役所の方では何もやってはくれませんしね。ええ。まったく最近ときたら、無関心?というのでしょうか、なんというのでしょうか。ちょっと今日は寒いわねえ。おおさむ。しかし、なんですか、ホントに嫌になりますわね。この辺りはどうも治安がよろしくないと申しましょうかね、先だっても茶髪の若者たちに「ババア、緑のババア」などと言われたもので。いえいえ。お気になさらず。わたしは心をひとより強く持っておりますので、そんなのにはビクとも動じませんけれどもね。でもそれでも私もこうしていると、かわしらしい学童さんたちから「緑のおばさん、おはよう」なんて言われますとね、こう、まあ。私もこの街に住んで30年?40年かしら?になりますものですし、これでもまあこの地域の住民としての誇りといいますか?その。まあ、なんと申しましょうか。しかし、こうして剥がれかけた道路の白線を塗りなおして下るのには、とっても助かってるんです、どうも。しかし冷えますわね。今日は。さむいです。」

 男は「緑のおばさん」の立派な心がけに感じ入りながらも、手の方は止めること無く、ひたすら白線を塗り塗りしている。もう最初の塗り始めの地点から30メートルも進んでしまい、話を続ける「緑のおばさん」の姿ははるか遠のいている。

 作業に集中すると「せっ、せっ、せっ」と無意識にの内に声を出している男。「せっ、せっ、せっ」の声がリズムを作り、その「せっ、せっ、せっ」の声が、自らの声ではなく、どこか意外な空間から到来した環境音のように男には感受されるとき、これ以上に平穏な時間はないのではないだろうか、という気持ちが沸き起こってくるのだった。