2015年7月頃 朝の上板橋

まだ雨は上がらないのだろうか。いや、この部屋から聞こえてくる雨音にはいつも独特の響きがこもったものであるため、私は今自分の耳に聞こえてくる音が果たして何によるものであるのかということに、確信を持つことが難しい。「聞こえてくる」という表し方がこの場合正しいのかどうかという確信にすら至ることができない。ただ玄関の、見立て50cm四方しかあるまい空間に閉じ込められながら、私はまるで一切コージーな気持ちにはなれずいる。はたしてここが居慣れた空間であって、数秒後に、外界へと歩を進めていくという、毎日に予定されたいつもの身の振り方が続いていくということに与するのが難しいのである。私の耳の奥から、感覚器官である耳の奥から、脳裏にやってくるそのさざ音は、まるで思慮の浅い近所の核家族たちの空々しい朝のお喋りが遠く彼方から感受されるような仕方をもって、私の心に蟠る。そしてたいていの場合、こうした蟠りの感覚は、お馴染みの動作(たとえば、玄関先にあるただ雑然と脱ぎ散らした靴を右から順に二、三回、前後させつつ、所定の場所へ配置しようとする無意味な動作)をもってその存在感を増じてくる。日によっては、この反復は、その動作がさらに別の動作を呼び込むように自らにこべりつき、あたかも無限に続くかと思われるようなこともある。その時は既に、私の肉体は、私の意思とは関係のない形で、動作に隷属する物体と成り果ててしまうようである。また、「右の靴を左のそれより少し前に配置しなくてはならない」というこのルールは、実際に右のそれを左のそれより少し前に配置するという明確な意志に裏付けられた動作をもって一回で単純に完結させることを望んでいない。仮にそうやって配置をうまく完成させられたとしても、私を満足させることは出来ない。なぜなら、私が私の内に持つ明確な意思が仮にあったとして、その意思があまりにも簡単にその動作を一回で完結するようでは、その単純で合理的な行き方に私は一方で鼻白んでしまうし、どこか得心をすることを許さないのだ。何度も何度もスニーカーの位置をずらし、検分し、そしてまたずらすという動きの中に、偶然というものが持つ美徳を見出そうとしているのかもしれない。その偶然への憧憬は、繰り返しの行動が召喚する意思の鈍麻と、そこから引き起こされる無意味性のようなものへ憧憬であるのかもしれない。けれども、配置が本当の意味でアットランダムであってはいけないというプリンシプルを、一方で私は捨てきれていない。偶然を奉じるのであれば、「正しい」配置など本来は、無いのだが、一方、意志の力で「正しい」配置を願っている

 私は毎朝のように、出勤の前にこのような儀礼を通過する。この種の儀礼は、とりわけこうした朝の時間に多くある。他の例を挙げていけばキリがないほどではあるが、象徴的なものとして私は靴の事案を挙げたまでで、およそ読者が想像し得る様々な一般的な男性の朝の生活習慣につきまとってくるのである。顔を洗う時の手の挙げ方。服を着る時の速度や順序。剃刀で髭を当たる時の肌への入角度。用便の時の便座への密着面積。

そうして、一連のことをこなしながらいると、不思議とこの頃の雨の音が、私の意思とは関係なく、雨の音としてそこにあろうとしていることに、私は徐々に気付かされたていく。雨は、私を振り払って、ようやく嬉々として、雨としての音をたてている。降っている雨の中へ、私は進みでる。

  

 私のアパートがある上板橋地区というのは、もともと旧中仙道宿である仲宿付近などと比較して、東武東上線の各駅停車停車駅として他の周辺駅と同じく後発の開発を浴したエリアであるといえる。ランドマークといえば、近くを通る新川越街道(国道254)から上板橋駅南口へ向かう交差点に立つ(「そびえる」と言いうるほどの威風はない)いわゆる「五本けやき」が思い浮かぶ。この「五本けやき」というのは、昭和初期に行われた川越街道のバイパス化にともない、当時ちょうどその拡張対象場所に住所を構えていた上板橋村村長が土地提供を行った際、「邸内のこのけやきを残しておいてくれるなら」との彼の条件のものとに生き残った遺構ともいうべきものだ。私はこの地区に越してきてからざっと8年ほどになるが、本エピソードはこの度これを書くにあたってインターネットで調べ、初めて知った。あ、こんどこの独白録を書くにあたって「五本けやき」についての由来をここに披瀝をしたところで、どうにもなるものではない。このうように、私は今回まとまった文体あるいはまとまった物語というよりは、意識の白濁から逃れるように、恐らく私を含む誰にとってもまったく興味を喚起しないようなこのようなトピックスを書き連ねてしまうことから逃れることが、難しい。

 ともあれ、上板橋である。先日テレビ東京でやっていた「出没!アド街ック天国」にて、愛川欽也の亡きあと(厳密に言えば、最初の数回は愛川欽也扮する宣伝部長の「代理」という体で)新宣言部長のV6イノッチが、「かつて自分は個人的に『雨の上板橋』というタイトルの曲を自作したことがある、というエピソードを披瀝していたことがあったのだが、今日は、その、雨の上板橋である。まず、私は自宅を出ると一旦は先述の強迫神経症的状況から、ふと開放されるように思われる。急転直下、世界は具体性の中で駆動し始め、ヤクルトレディーの快活な挨拶や、活き活きと仕事をする路上自転車監視員など、「朝」を表象するような職能者の姿を路上に発見しながら、自分の身体に、なにやら社会というべきものから放射される具体性のジャブパンチが次々にくりひろげられていく。「朝はグレープフルーツジュースに限る。それも100%果汁のすっぱいやつ。」と、一日の初めにおける心身の起動の仕方をアドバイスしてくれた友人がいるのだが、彼の気持ちがとても良くわかるようだ。強い酸味に味蕾を刺激され、そこから神経を経由しながら個々の細胞が、酸味に叩き起こされてわなないてくるような、あの感覚。個々の細胞が、隣り合う細胞とのずるずるべったりな同一から、鋭い頬打ちをうけたように、個別の細胞として立ち上がっていく感じ(感じ・感覚という言葉を使い過ぎだろうか)。私は朝、家を出て駅へ向かう路上の中で見る、はしたなく開陳された具体性の世界を浴びることにより、精神へ酸味を注入していく。起き抜けの口腔に残る饐えた匂いが、さらなるもっと具体的な酸味によって駆逐されていく。ちなみに、私はこの一連の過程を、一日をはじめるための「メンテナンス」というような即物的な語彙によって表したくないような気持ちがある一方、逆に、そのような後の用い方をすることによってしか、この具体的な駆動の感覚を、表し得ないような気もしている。

 しかし、いずれにせよ、このような「感覚」に対する鳥瞰的態度や視点というのは、これ書くことを決心した時点よりあとから獲得されたものであるかもしれない。なぜなら、普段の書いていない私は、ただ自分から流れ出る主情に隷属していただけだったのだから。(だから、今ではアド街のイノッチのエピソードを引用することも出来るわけだ。)

 

 駅北口にある国際興業バスの停留所では、毎朝60歳かそこらの極端に小柄でやせぎすの男性が、ボロボロに着古した支給品の背服を身に纏い(実際は纏うというより、服の中に埋没しているような印象だ)、駅前広場に闖入しているバスを、形ながらも誘導している。

「ピーイ、ピーイ、ピーイ、ピーイ」。軽々とした笛の音を上げながら、車両を手前へ手前へと誘い込もうと、男性はその右手を、自らが発する笛の音に比して、きわめて弱々しく振る。そのバスの運転手からすれば、男性の動作は物理的な意味では見えていないはずなのであるが、連日の熟練の成果なのか、不思議という他ない謎めいた完璧な同期を見せながら、笛の音にあわせてバスは余裕たっぷりにプールへと導かれていく。 すーい、すーい。一方、始発停留所たる駅前広場に待つ人々は、その様子を、眺めるでもなく、さも当然のように、且つ、なんとなく眺めている。初期のテレビゲームの横スクロールアクション系のソフトウェアで、主人公が、ある一定の場所に立っているにもかかわらず、自動的に外面左辺がずんずん迫ってきて、そのまま右方向へずらされていくような調子で、駅前の風景は、むしろ風景そのものよりもバスの動きが主導するような形で、待ち人達の眼前ですーい、すーいと展開していく。動いてくるバスを待つというより、目の前の画面がバスという長方形の枠組みが視界を侵すことによって、画角がしゅるしゅる変わっていくのをやり過ごすかのように、彼らはぼんやりとバスによって侵される虚空へ眼を遣いつつ、待っている。ようやくバスが停まると、処方箋窓口からいつものように呼び出しを受けた疾患晩期の患者のような非主体的な足取りで、待ち人たちはバスの昇降口目指して歩み始める。私は、その様子を見ると、彼らとともに、バスへ乗って彼らが目指す任意の場所へゆらゆらと、なんとなく、一緒に行ってみたい誘惑に駆られる。おそらくその行き先は、私が思うに、本来的には彼らがいかなくても良い所なのではないか、と思う。行かなくても、どうということのない場所。彼らはおそらく、この上板橋の駅前から、「いかなくても良い所に、わざわざ早起きをして、わざと、行っている。」のではないかしら、という甘美で邪悪な妄想から私は逃れられなくなる。実際は、彼らとて、意味と実際的な合理の絡まりあった世界に生きておることを誰にも言われるまでもなく、自身として深く自覚しており、今日もいつもどおり、彼らの毎日の糧を求めに行っているだけかもしれない(ただいつもの場所へ繰り返し移動しているだけかもしれない)。だけれども、朝の私には、少なくとも私と違う未知のルートをもって身体を移動させている人たちへの憧憬が消えることはないようだ。彼らは、上板橋駅前からどこへ行くことがあるのだろう??しようが無い生活から、別の生活へ?そこまでして何故に人は移動するのか?移動する、とは、「ここ」が不満で「どこか」へいくということなのか?上板橋に住んでいるからこそ、一丁前に「昼間のパパはちょと違う」式に、理想の「どこか」を求めるのか?「どこか」へ行くことによって、皆、上板橋のそれぞれの棲家でで布団をかぶっていた数時間前とは違う自分を探し求めに行っているのだろうか?

 けれども、国際興業バスを駅前で待つ彼らに、僕は話をしたことがない。それが私の誇れるコンプレックスであった。要するに、私は、人をバカにしないことで、その人らを貶めていたのだ。その人を知らないのであるから、私はその人の知り得ぬ「不幸」の糊代を十分に想像できる甘えを担保していた。不遜で申し訳がないが、そう思っていた。

 

 上板橋駅のホームへついた。池袋方面の電車へ乗るには、34番線ホームに並ぶ。

きっとしばらく電車はやってこない。