曲がり道

 もう一昨年前のことになるけれども、わたしがそれまで8年を越えて住み親しんだ上板橋から、練馬区の関町へ越してきた。以来、職場がそう遠くない方面にあることを理由に、移動をする手段としては自転車を選択したのだった。わりと値の張る(自慢の)ロードバイク式の自転車を所有していた私は、当初には毎日その界隈の大通りである吉祥寺通りを南下する形で、気味よく疾走しながら吉祥寺の方面へ出ていたのだったのだが。早春の、空気に優しい暖かさが篭り始めたを頬に感じられたことは、運動不足だった自分の身体が、そのなにか優しげな空気にほだされていくようで嬉しいことだった。

 吉祥寺通りを駅方面に南下していくとき、家を出てからそのまま幾らかまっすぐ進むと、町名を「立野町」と呼ばれるあたりに差し掛かったところで、緩やかなカーブに出会う。右方面になびいていくその道筋は、自転車を駆る私にとっては毎日に出会う少しの(実にほんの些細な)スペクタクルだった。少年の時代によくしたように、自転車をすこし行くべき方向に傾ける。ハングオンしていく。この曲がり道は、自転車を巡航する速度をとくに緩めさせるでもない。頬に触る風は、むしろつつがない一本道の場合より、こういった仄かなカーブのときこそ、心地よさを運んでくる。右頬へなびいてくる風は、わたしがその時新生活を始めたのだという実感を、そっと運んでくれたのだった。

 その後、とても情けないことに、その自転車移動の生活が災いして(医者の言うとのことによると、ロードバイクというのは、常に前傾の運転姿勢を保たなくてはならないために、それを日常的に乗りこなすには極めて腰と周辺部位に悪い乗り物らしいのだ)、ヘルニア病を患ってしまった私は、渋々に主な移動を徒歩に頼る生活となった。じっさい、そのあたりから吉祥寺駅まで出るには、徒歩移動ではなかなかに骨の折れる距離であって、歩くことを決断した当初直後は、自分の身体の脆弱さを呪詛したりした。なんでこんな距離を歩かなきゃならないんだ…。

 そんなある日だったか、わたしは夜、吉祥寺駅からの関町への帰り道を歩いていた。そのころは、まだまだこのあたりの生活に新鮮で快活な興奮を覚え、夜な夜な吉祥寺周辺の居酒屋だとか、飯屋だとか、そういうものへ通い通いしていたこともあり、その日もかなり日が落ちてから深くなった時間だったかと思う。駅からゆらゆらと北上し、四軒寺交差点を越えたあたりで、「ああやっぱり歩いて帰るにはどうやっても骨の折れる家だよ…」と弱虫が出て来る。それでも、一年でもっとも優しい5月の風はその労苦をねぎらうように、さわさわと身体を撫でてくれているのだった。そしてまたあの曲がり道へ差し掛かる。自転車で行き来していたついこの間までとは違って、今度は行く先左の方面へ、ゆっくりゆっくりと緩やかに道が続いていく。真っ暗な吉祥寺通り。時折じぶんより歳の行かない若者たちが、自転車を駆りながら、上気した身体をわざと風にさらすように、おのおの世話話をしながら行く。「おい!ダイキ!ざっけんなよ!」彼らのほたえ声の残響が、黒い空にこだまする。なにがそんなにおかしいのか、あははは、と機嫌よく、歌うように笑いながら。

 わたしはといえば、まだ患いの抜けない腰を重く運びながら、その患いをむしろ快活に動くことによって忘れられるとでも思っているかのように、つとめてさくさくとしたリズムで北の方にむかって、足を移していく。曲がり道というのは、どこにその局面のピークがあるかを判断するのが難しいのだけれども、ちょうど、前あるいは後ろ、どちらを振り返っても、来た道も行く道も、どちらもがそのカーブで隠されてしまう地点というのがある。立野町の郵便局を越えた辺り、どうしてその場所にその看板を建てたのかの意図はわからないけれど、今行く道が「吉祥寺通り」であることを示してくれる「吉祥寺通り」という道看板の立っている辺り。ちょうどそのとき、それまで吹いていた風がふっと止んで、自転車で行き交う人達も、車も、そして私以外に歩きゆく人の姿も見えなくなった。もとより通行の頻繁なこの通りにして、夜の深い時間を考えても、どうにも訝しくなるくらいに、何の音も聞こえることがない。

 ふと前を見れば、カーブの行く先を霞ませる、通りの両側に佇むアパートや、商店やら、建屋の群があり、そして後ろをみても、おなじように、これまで歩いてきた道の先は、すぼんでめくりとられるように、遠く眺めゆくこともできない。まるで、わたしの視線が、その曲がり道に絡め取られてしまったように、しゅるしゅると細く綴じている。ふと、どうしたことか、時間が完全に運行をやめてしまったような。時間というものが意思をもっているのだとしたら、それまで律儀に働いてきたことに膿み疲れて、流れを運ぶことをなげやりに放棄してしまったような、そんないっときがわたしを捉えたのだった。わたしがもし、このまま歩を緩めることをしなかったとしても、もしかすると、この曲がり道から先の風景は、ずっとこのさきも開き出ることがないのかもしれないという、ささやかな不安ともつかない、よこしまなが蠱惑が心を撫でる。風は止んで、時は流れを止め、わたしはじっと佇む。前にも向かず、後ろにも向かず、その場で、その場だけを感じる。「わかったわかった。そちらがそのつもりだったら、この場で終わりにしてもらおうじゃないか」そんなことが頭に浮かぶと、妙に解き放たれたような、さっぱりした心持ちなったりして、「わー!!」叫んだりしてみる。閉ざされた曲がり道で、わたしの声が、わたしから離れて、道を囲むモルタルにぶつかり、四方からわたしに、わたしがこだまする。

 

 「あ!」と思うひまもなく、くろぐろした小さなかたまりが足元を駆けていく。そのくろぐろは、一つではなくて、時間を置いて、いくつも転がっていく。三個、四個。コロコロコロ!本当にそんな音をたてるように、でも実際には何の音もなく、転がっていく。そのくろぐろは、今私があるいてきた道から、今私が行こうとする道へむかって、一目散に転がっていく。わたしがいまこんなに難儀して、夜につかまえられてしまっているその中で、その鼠たちは、ゆうゆうと、曲がり道にとざされた風景を、駆けていく。彼らが来たのは、やはり今でも閉ざされた道のどこかから。そして彼らが行くのは、いま私が行こうとしてもその先が見えない、閉ざされた道なのだった。すばしこい鼠たちは、曲がり道をまるで自転車で行くように、駆けていく。わたしがあのロードバイクでこの道を駆けていたあのときと同じように、たぶん、この曲がり道がどこかで、いやここで、こうして誰かが閉ざされてしまっていることも知ることもなく。鼠達は、わたしがさきほど発した、「わー!」という声を聴いてくれていただろうか?おそらく聴いてはくれてはいないだろう。それが、曲がり角で歩みを止めた、わたしの声だと知ったのならら、わたしもそのくろぐろの仲間にしてほしいのだが。

 

 そんなことを思っていたら、どういうことだろう、わたしは既にその曲がり道を越えて、我が家から最寄りのコンビニである、セブンイレブンの前に立っているのだった。家に歯磨き粉をきらしていることにふと気付いたわたしは、そこでそれを買って帰った。家に着くと、都会のネズミの生態系を調べようと、ウィキペディアを開いてみて、少しだけそれを読んで、床に着いたのだった。