CDさん太郎 VOL.12 2019/4/8〜4/14購入盤

こんにちは。本記事はCD特化のディグ日記シリーズ「CDさん太郎」の第12回目になります。今回は2019年4月8日に立川で、日に下北沢、9日に御茶ノ水、11日に早稲田、14日に吉祥寺で購入したCDを計12枚紹介します。

唐突に告知です。先日収録があったのですが、4/22(月)の22:00〜23:00に無料ラジオステーション「Backstage Cafe」にて配信されるwebラジオ番組『ラジナタ』にゲストとして出演させていただきます。パーソナリティはカクバリズムの代表で敬愛する先輩、角張渉さんです。かれこれ10年近くのお付き合いになる角張さんですが、こういう形でお話するのはとても新鮮でした。本ブログの内容に通じる話をしつつ、フェイバリット楽曲を紹介させていただきました。

詳細、ご視聴は以下リンクよりどうぞ。

https://live.natalie.mu/radinata/

 

本シリーズ「CDさん太郎」要旨、並びに凡例は下記第1回目のエントリをご参照ください。

shibasakiyuji.hatenablog.com

 

1.

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アーティスト:Pauline Wilson

タイトル:Intuition

発売年:1992年

レーベル:PONY CANYON(オリジナル:Noteworthy Records )

入手場所:BOOKOFF SUPER BAZAAR 立川駅北口店

購入価格:280円

寸評:ポーリン・ウィルソンはハワイ生まれのシンガーで、フュージョンバンド、シーウィンドのボーカリストとして70年代半ばから活躍するベテランです。シーウィンドにはそこまで興味を持てない私なのですが(いや、かつてそうだっただけで今は違うもしれないので、今度100円でLPを見つけたら買おうと思っています)、何故本作を購入したかというと、米在住の日本人アーティスト横倉裕(このブログに良く出てきますね〜)がプロデュースを担当しているからです。この時期の彼は、本「CDさん太郎」第二回目にも取り上げたGRP盤リリースや他プロデュースワークで乗りに乗っていた時期。バックにはシーウィンドの元メンバーや横倉氏界隈のブラジル系ミュージシャンが大挙参加しており、全編非常にハイクオリティなオケ。ポーリンの歌唱も20年前とまったく変わらない、スムースかつ伸びやかなもの。ジャジー以上、ソウルフルの手前といった塩梅で、実に心地よい。取り上げられる曲も、シーウィンド時代の楽曲から横倉曲まで非常に充実しています。90年代AORの名作と断言していいかと思います。ネットにあたってみたら、2017年にハタさんが「light mellow記録簿」で取り上げており、流石すぎると思いました。こういうのもいつか再発される日がくるんでしょうか。マケプレでも微弱にプレミアが付いているようですね。

 

2.

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アーティスト:佐久間正英

タイトル:SANE DREAM 正気の夢

発売年:1991年

レーベル:東芝EMI

入手場所:珍屋 立川2号店

購入価格:400円

寸評:佐久間正英氏といえば四人囃子からプラスティックスへと渡り歩き、遠藤賢司からBOOWYGLAYまで幅広く手がける敏腕プロデューサーとしても活躍した天才ですが、80年代以降数々の劇伴音楽を制作し(特に、dip in the poolを迎えての崔洋一監督映画『黒いドレスの女』のサントラは極上です…)、環境音楽的な作品も多く残してきた人です(2014年逝去されました。安らかに…)。この91年作は、そういった志向に加え元来のブリティッシュ・ロック〜プログレな要素を足したもので、何ともこの人らしい作風の良作です。以前本「CDさん太郎」でも日本移住後の作品を取り上げたexモット・ザ・フープルモーガン・フィッシャーも鍵盤で参加し、アンビエント的要素も多分に含んでいます。全体を通して、そうしたアンビエント調からニューウェイブ風、モダンポップ風など様々なタイプの楽曲が収められていますが、そのどれもに繊細なアレンジメントと音響処理が施されており、同時期のデヴィッド・バーン作品も彷彿したりもします。キングクリムゾンの名曲「I Talk to the Wind」のしとしととしたカバーも素晴らしい。ポップアートとアングラを無理やり接合したような分裂的なアートワークも実に良く、一筋縄ではいかない音楽内容をよく現していると感じます。

 

3.

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アーティスト:MARIAH

タイトル:MARGINAL LOVE

発売年:1991年(オリジナル:1981年)

レーベル:日本コロムビア (オリジナル B&M)

入手場所:珍屋 立川2号店

購入価格:200円

寸評:2016年に米レーベルPalto Flatsから83年のラスト作『うたかたの日々』がリイシュー、それがピッチフォークのBEST NEW RIISUEに選出されたことで世界的に再評価が盛り上がっているジャパニーズ・プログレッシブフュージョンバンド、マライア。メンバーラインナップは、清水靖晃(Sax)、笹路正徳(Key)、土方隆行(Gtr)、山木秀夫(Drs)、渡辺モリオ(Bass)、村川ジミー聡(Vo)というそうそうたる面々。初期は超絶フュージョン集団というイメージでしたが(ゆえに中古市場でもあまり人気はない)、この3rdくらいになってくると、プログレッシブというか、もはやそこを超えてポストパンクな持ち味が炸裂しており、同時代の世界的基準で見てもかなり先鋭的な音楽だと思います。これまでこのバンドはフュージョン文化圏のみで論じられてきたように思いますが、むしろポストパンク的な文脈から評価されるべき怪作だと思います(だから、ゲスト参加のスティーブ・ルカサーはかえって浮いてしまっています)。同時期の東京ロッカーズの一群、関西ポストパンク勢、あるいはPILやマーク・スチュワート、DNAやコントーションズなどとも共通するテイストを感じるシリアスなものです。しかしそうした路線に行き詰まりを感じたのか、次作の『うたかたの日々』ではよりポップでエレクトロニックな路線へ変遷していくのでした。ちなみにこの時期、マライアの面々は初期ビーイング制作の諸作によく駆り出されており、秋本奈緒美初期作を始めとして強烈な怪作(快作)が作られることになったのでした。

 

4.

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アーティスト:Paris blue

タイトル:a groovy kind of Love 恋はごきげん

発売年:1993年

レーベル:BMGビクター

入手場所:珍屋 立川1号店

購入価格:380円

寸評:今はその殆どが歴史に埋もれてしまい、人々の記憶からも消し去られてしまった感のある「疑似渋谷系」のアーティスト達。フレンチテイストを織り交ぜたシャレたアートワークに惹かれて買ってみると、「これって渋谷系?」ということが結構あるのです。元々J-AORシティ・ポップ的なものが席巻していた芸能音楽界へのカウンターが渋谷系であったわけで、ポストパンク由来の本来の意味におけるネオアコ精神が漂白されてしまった後発組(疑似渋谷系)を聴くと、なんだかボヤボヤしたポップスだナア…となってしまいがちなのでした。このParis Blueは、最初から意識的に「渋谷系」として「打ち出され」れたユニットで、今から振り返ると逆説的にそうした渋谷系シーンの空洞化を象徴しているような存在かなと思います。全てオリジナル曲なのですが、そもそもその曲にいわゆる渋谷系感がほとんど無いのでした。アレンジ面で微弱にそういう雰囲気も感じますが(それがまた、アシッドジャズ的ビートを安易に取り入れたり、ヴィブラフォンを慣用句的にを入れてみたりと、実に類型的な感じ)、旧世代的なボーカルスタイル含め、明らかに「名ばかり渋谷系」です。が、本レビューは、「真の渋谷系」を称揚することが目的ではありません。むしろその逆を言いたいのです。今作、むしろ旧来のニューミュージックの系譜に置いて聴いてみると、割と好ましいシティポップ・アルバムなのではないかと思います(実際に参加ミュージシャンも旧世代の人達が参加しています)。特にM5あたりはかなり良い(この曲は比較的渋谷系濃度も高くオールドウェーブと渋谷系の奇形的なマリアージュという感じです)。嗚呼、彼らはさして話題になることなく失速し解散してしまいます。打ち出し方の悲劇ですね…。疑似渋谷系の隠れ良作はけっこう存在しているはずなので鋭意掘っていきたいところです。

 

5.

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アーティスト:佐藤博

タイトル:ALL OF ME

発売年:1995年

レーベル:東芝EMI

入手場所:ディスクユニオン 立川店

購入価格:522円

寸評:元ハックルバックティン・パン・アレーのライトメロウ神・佐藤博による95年作。この人のすごいところは、いつの時代でも必ずカッコいいというところで、その天才っぷりに今再び注目が集まるのにも強く納得する次第です。かつては敬遠していた90年代以降作も、今や見かける度に買ってしまうのでした。80年代以降のソロ作では打ち込みサウンドと自身のジェントルなボーカルを巧く融合させてきた彼の技が、この時代になると円熟の粋に達し、テクノロジー有機的活用と血肉化という点で他の追随を許さないレベルに至っている感があります。M1、いきなりミニマルテクノ風の楽曲で度肝を抜かれますが、これも「やってみました」風じゃなく、ちゃんとかっこよく形になっているのがスゴイ。M2以降は怒涛のAOR〜ライトメロウチューンのオンパレードで、いつもながらミディアムテンポの楽曲が光っています。特に、吉田美奈子が参加したM4、ゴンザレス三上の参加した快適音楽M5、盟友・細野晴臣イッシュなトロピカルグルーヴチューンM6、洒脱極まるシティポップサンバM10など、全編にわたり超一流です。

 

6.

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アーティスト:角松敏生

タイトル: SEA IS A LADY

発売年:1987年

レーベル:          Air Records

入手場所:ディスクユニオン 立川店

購入価格:380円

寸評:超一流の方が続きます。角松敏生による87年制作のインストアルバムです。2017年には完全再現版『SEA IS A LADY 2017』がリリースされ当時のファンの間でも話題になっていましたね。この87年のオリジナルは、当時オリコン4位を記録するというインストアルバムとしては規格外のヒットを飛ばした作品です。実際聴いてみると、流石角松氏、いつもながら少しのスキもないアレンジを伴った大一級の作品となっています。そして、当たり前ですがなによりギターがめちゃくちゃウンまい。実に胸のすく弾きっぷりで、ギターソロ不遇の2019年の空気感がアホらしくなってきますね。当たり前ですが、ギターは「弾くもの」なのでした。一方でフュージョンプロパーの人やバンドにありがちなスポーティー過ぎる雰囲気はほとんどなく、あくまでポップスを作ろうという意思に貫かれているのが益々いいです。夏、ドライブしながら聴いたらさぞ最高だろうし、聴きましょう。

 

7.

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アーティスト:オノ・セイゲン

タイトル:COMME Des Garcons vol.1

発売年:1989年(オリジナル:1988年)

レーベル:徳間ジャパン(オリジナル:Venture)

入手場所:ディスクユニオン 立川店

購入価格:280円

寸評:コム・デ・ギャルソンのデザイナー川久保玲嘱託による、たオノ・セイゲン制作のファッションショー用音楽第一集です。実は本CDかつて所持していたのですが一度売り払ってしまっており、今回、このところの自分の中での背景音楽への関心の高まりから再度購入しました。実際にCDとして発売されたのは89年ですが、録音は87年に行われています。注目すべきがその豪華な演奏メンバーです。アート・リンゼイジョン・ゾーンジョン・ルーリービル・フリゼールなどが中心となり、先鋭的な演奏を聴かせます。そこにオノ氏の音響処理がほどこされ、実に理知的なバックグラウンドミュージックが完成されました。そのまま一本の映画のスコアに転用できそうなほどのバラエティで、アンビエント調、ミニマル調、各種民族音楽調、アヴァンプログレ調など、どれも自立的な音楽としても素晴らしい。今ならDJ使いもバリバリできそうです。

 

8.

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アーティスト:Finis Africae

タイトル:amazonia

発売年:2016年(オリジナル:1990)

レーベル:EM Records(オリジナル:Música Sin-Fin)

入手場所:ディスクユニオン 立川店

購入価格:1,152円

寸評:以前本ブログにも同じEM Recordsからもベスト盤が登場した、スペインのニューウェイブ〜バレアリックユニット、フィニス・アフリカエによる90年作です。タイトル通りアマゾン紀行を題材にしたコンセプトアルバムで、南米湿地帯のディープトロピカルな風景を思わせる(アンリ・ルソーのジャングル画のような)有機的なエレクトロニック音楽です。エレクトロニックといっても生楽器も縦横に使用され、テクノほどマシーン的でなく、より有機的なグルーヴで貫かれている感じです。このあたりがまさしく「バレアリック」。SEの使用も非常に洗練れており、生きものたちの鳴き声を交えたジャングル喧騒音も実に品よく取り入れられています。トラック別ではメディテーショナルなシンセとヴィブラフォントーキングドラムを模した電子音が素晴らしいM2、ドープ極まりない熱帯ドローンアンビエントM5、カリンバの反復フレーズと緊張感あるシンセフレーズが絡みつくミニマルハウス調のM6、ツィター舞うニューエイジの色強いM7が素晴らしい…というか…もう…全部が最高です。上述のベスト盤を取り上げたときにも言いましたが、今個人的に一番カッコいいと思える音楽です。

 

9.

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アーティスト:上野耕路

タイトル:『GADGET Trips』オリジナル・サウンドトラック レゾナンス オブ ガジェット 〜疑似交響曲的断章及びノイズ・モンタージュカラ

発売年:1995年

レーベル:SYNERGY, Inc.

入手場所:ディスクユニオン 御茶ノ水

購入価格:480円

寸評:ex.ゲルニカ上野耕路が、マルチメディアクリエイター(というのが既に懐かしい言い方ですが)の庄野晴彦によるLD/VHS作品『GADGET Trips』のために書き下ろしたスコアを収めた作品です。GADGETシリーズはそれまでCD-ROMなどでもリリースされていたということで、90年代CGオタクの間では今でも伝説的な作品とされているという由。が、今のネット社会においてもそれらを動画配信サイトで閲覧することは難しい、という、まるでこの「CDさん太郎」でサルベージしているコンテンツと同じような状況が起こっているのでした。音楽内容的には、上野氏の名盤『Music for Silent Movies』へ通じるような疑似現代音楽という感じで、タイトルがうまくその内容を現しています。ブックレットに寄せられたテキスト含め猛烈なニューアカデミズム臭を発散しており(95年というリリース年を考えるとちょっと遅い)、個人的趣向で言うとこのあたりのチージースノビズムには鼻白んでしまう感じもあるのですが、時代の徒花ならではの美しさがあるのも確かなことであるように思われます。「難しそうなこと」がカッコ良かった時代に思いを馳せて…。

 

11.

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アーティスト:Adi

タイトル:Adi

発売年:1992年

レーベル:ビクター

入手場所:ブックオフ 早稲田駅前店

購入価格:280円

寸評:「上田知華とKARYOBIN」でバイオリンを担当し、その後飛鳥スリリングスを率いていた金子飛鳥と、ex.美狂乱のドラマー佐藤正治を中心として結成されたプログレポップバンド、Adi。このセカンドでは佐藤が脱退し、金子、ex.Shi-SHONENの渡辺等、オルケスタ・デ・ラ・ルス塩谷哲、ex.プラチナのTECHIEというメンバー構成になっています。更にゲストとして仙波清彦(!)を迎えて制作された本作、忘れられた日本プログレポップの名作として面白く聞ける内容なのではないかなと思います。ファジーなアートワークからしていかにもこの時代らしい美学を感じるのですが、聴き心地も決して硬質なプログレ感を全面に押し出してているわけではなく、むしろ柔和な印象を抱かせます。が、やはりよく聞くと超絶的なアレンジセンスとテクニックに支えられていることが感得されます。実に今評価に迷う内容かなと思うのですが、少なくとも、かつて日本の「プログレッシブ」というものがポップスに接近して芳しい結果をものにした時代がある、というドキュメントとして評価されるべきものに感じます。チャクラ〜小川美潮ソロ作のファンへもアッピールするような内容だと思います。

 

12.

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アーティスト:高橋悠治

タイトル:J.S.バッハ高橋悠治・編:フーガの[電子]技法

発売年:2006年(オリジナル:1975年)

レーベル:日本コロムビア

入手場所:ディスクユニオン 吉祥寺店

購入価格:580円

寸評:日本を代表するピアニスト/現代音楽作曲家の高橋悠治は、シンセサイザーも能くする音楽家で色々な作品を残しているのですが、こういったものを制作しているのは寡聞にして知りませんでした。これはバッハの「フーガの技法」(BWV1080)からの7曲をMoog-Type55、MS-Synthi 2を用いて弾いた作品です。シンセサイザーinクラシック、しかもバッハというと何より先にウォルター・カルロスの名作『スウィッチド・オン・バッハ』(69年作)が思い浮かぶわけですが、それが娯楽音楽寄りだったとすると、この作品はよりストリクトな意識に下支えされたアカデミック寄りの作品集という感があります。しかしながら、このアナログシンセサイザーによる電子音像は『スウィッチド〜』に通じるトッポい印象を聴くものに与えずにはおらず、どうしてもキッチュな味わいが滲み出るのでした。この時代特有のエフェクトボード無経由のノンリバーブな音像は、今の感覚でいうと「ゲーム音楽っぽい」ということになるのかと思います。しかしながら、録音当時はもちろんそういった「初期ゲーム音楽っぽさ」というのは未知のものであり、これを虚心に(クラシック音楽として)評価するにはそうした部分を捨象せねばならないでしょう。しかしながら、現代のリスナーからするとその「ゲーム音楽っぽさ」こそがチャームとして聴こえてしまうというのは避けられないことでもあり、むしろそこを美点として味わうのが却って正しい聴取感覚なのではないかなとすら考えます。電子音楽というのはそも、かように時代の音像=テクスチャーにそのリスニング意識が左右されるものなのでしょう。そのことを含み込むならば、そういった聴取意識の変容すらも「聞く楽しみ」の中に包摂することが、こうした初期シンセサイザー音楽を味わう要諦なのかもしれないと思うのでした。

 

次回へ続く…。