アナログレコードにおける「ヒューマンなニュアンス」とCDの関係

アナログレコードを「ヒューマンなニュアンス」あるいは「ぬくもりのある音」といった風に称揚する言説は、CDが音楽生成記録メディアの主役についた90年代以降、繰り返し反復されてきた。

昨今の「アナログブーム」において、こうした言説は更に一般化したようにも見られる。

この文脈でCD音質が批判される際の主要な論旨は、CDの周波数/ビット数(44.1kHz/16bit)規格におけるオリジナル音源の再現性の問題に由来している。16bitとは、2の16乗段階で音量差を制御していることを指し、44.1kHzとは、そのくらいの高い音まで記録再生可能、ということを指す。これらは人間の認識能力のリミットを超えて設定された数値であり、理論上はCD音源と自然音を聞き分けることは困難だとされてきた。しかし、当然ながら生楽器の音や自然音は(=アナログ音源)はそうした制限(デジタルでの再現性)が捨象する領域を有しており、それら可聴領域以外の要素が、実際の聴取体験に影響を及ぼしているのではないかという見方がある(これを、「ハイパーソニック・エフェクト」という)。原理的にいえば、アナログ音声の波形をCD規格に変換した際、本来と比べて細密性の荒いものになるのは、その差を聴き取れるかどうかは別として事実でもあり(手書きの絵画を撮影したデジタルカメラの画像を極端に拡大するとギザつきが目立つ状態を想像せよ)、原音からの忠実性を重んじる視点から、あくまでアナログ盤に「ヒューマンフィール」を求める傾向は根強い。一方で、「再現性」を別の観点から捉えれば、アナログ盤には別種の問題(ノイズ)がついてまわるのも事実だ。カッティングの作業やスタンパーの状態、プレスの環境、原材料の材質、そして、当然ながら再生機器や盤質状態等にも大きく左右される。これらを勘案するなら、一般にいう「ヒューマンなニュアンス」とは、ストリクトな意味での再現性というよりは、いわゆる「プチノイズ」や、プレイヤーや針、アンプ等の再生環境からくる特定音域の減殺等、アナログ再生につきももの「クセ」を指す嗜好として理解すべきかもしれない。昨今、元はCD音源であったマスター(44.1kHz/16bit)を元にカッティングを行い、アナログフォーマットで発売する新譜/旧譜の例も目立つが、それらは、厳密な音質面からみれば、いわば「アナログ特有のノイズが加味されたCD」でしかない。多くの場合、それらが軒並み好感を持って購買されている事実に鑑みて、「ヒューマンフィール」というのは、厳密に音質に関わる概念というより、アナログ盤特有の重量感や、ジャケットまわりのアートワークを物質として所有することからくるフェティッシュな「フィジカル的満足」と結びついた複合的な概念であるとも言えそうだ。
他方、CDそれ自体も音質的な進歩を経てきたことも指摘しておこう。初期のCDは、マスタリング技術の貧弱さもあり、主に音量レベル的に明らかに迫力不足のものも多かった。こうした点から、当時「ヒューマンフィールの不足」と断ぜられた面もあっただろう。なお、現在では、いわゆる「ハイレゾ」技術の発展とともに、CD音質以上のスペックを備えたデジタルファイル方式も浸透しており、ハイエンドオーディオのユーザーを中心に支持されている。