肴は炙ったイカでいい

評論家・柴崎祐二による雑録

寺尾紗穂『わたしの好きな労働歌』レビュー

仕事柄、一部の限られた界隈で支持される「マニアック」な音楽や、反対に、世間一般で話題となっている流行音楽を聴き、それについて考える機会が多いのだが、正直に言えば、そんな生活を続けているうちに、ふと虚しさを感じてしまうことも少なくない。そして私は、これまでそういう状態に陥るたびに、無性に寺尾さんの歌と演奏を聴きたくなり、再び音楽のパワーに魅入られるという経験を重ねてきた。寺尾さん歌がなぜそうやって響くのか自分でも長く不思議に思い続けていたのだが、今回のアルバム『わたしの好きな労働歌』を聴いて、ようやくはっきりと理由が分かった気がする。

日本の労働歌というと、近代の産業化の流れとともに労働運動と結びつき、ある時期以降一種の党派性を特に色濃く投影されてきたというのも紛れもない事実だ。一方で、その起源と継承の歴史をたどれば、なによりもまず、肉体を使役しながら働く人々が自らを鼓舞し、癒やし、ときにユーモラスに自己を対象化する存在として、多くの人々の生活の中で共有されてきたものである。

そこに「民衆のリアル」を見出し、現代の視点から歴史的なロマンチシズムを投影することは簡単だ。だが、寺尾さんの場合、優れたソング・キャッチャーとしてそれらを発掘し民俗学的な興味に供するにとどまらず、私達自身の現代生活を形作る様々な感情の束へと、丁寧かつダイナミックに合流させてみせる。そうした表現の持つ力を、アレンジの妙とか巧みな歌唱とかいった表層的なレベルから分析してみるのも面白いだろうが、きっとそれ以上に重要なのは、素材としての歌の数々へ、自らの感情や身体、想像力を思い切り預けてみせるやり方の果敢さ、迷いのなさにあるのだと思う。

彼女の手にかかると、日本各地で歌われた労働歌が、個別の歴史性や、そこに託されてきた様々な眼差しを超えて、にわかに現在の私達の感情世界へと接続されていく。当然ながらその経験は、今もなお私達が様々な「労働」の中で心身を摩耗させていること、更には、それを取り囲む経済システムの存在自体にも再度意識を向けさせてくれるだろうし、おそらくはもっと根源的な働きとして、音楽という不思議な存在が、かつてどのような形で社会の中で共有され、かつ、個人の生活感情を活性化させてきたのかということに、今一度思いを至らせてくれるのだ。

私達はともすれば、「シーン」やら「産業」といった、本来は恣意的に括られたものでしかない世界の内部で音楽を消費させられることに慣れきってしまう。現代において、一人の優れたシンガーソングライターが、いにしえの労働歌に、歴史の一場面に固定された伝承歌としてではなく(きっとここが何より肝要なのだが)ポップ・ミュージックとしての命を吹き込むという営みは、まさに、音楽が「作品」である以前に純然たる「行為」のコミュニケーションであったことを、私達に力強く思い出させてくれる。

労働歌は、気づけばあなたの周りに、それどころかあなたの心の中にずっと響いてきた。寺尾さんの歌は、単に「音楽を聴いている」だけにとどまらない広がりを、私達にもたらしてくれる。他でもない私達自身が、音楽の行為者なのだ、と。

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*本レビューは、同作リリースに際し、発売元「こほろぎ舎」配布のプレス用資料掲載用に書かれたものです。発売元の許可を得て、こちらに転載致します。

 

【作品概要】

 

『わたしの好きな労働歌』
発売日 2025年6月25日
品番 KHGCD-005
定価 ¥3,300(本体 ¥3,000)
発売元 こほろぎ舎
販売元 PCI MUSIC

【収録曲】
1 島根/「佐津目銅山鉱夫歌」(出雲市佐田町
2 山形/「エンヤマッカゴエン」(最上郡真室川町安楽城)
3 福岡/「ずくぼじょ」(八女市豊福、大牟田市
4 東京/「ひとつとせ」
5 岩手/「あらぐれ」(和賀郡和賀町山口)
6 愛媛/「浜子歌」(今治市大三島町口総)
7 東京/「田うない」(板橋区徳丸)
8 愛知/「せっせ」(豊田市稲武)
9 東京/「籠の鳥より」
10 兵庫「宍粟の守子歌」(宍粟郡千種町奥西山)
11 高知/「宿毛田植え歌」(宿毛市仲市)
12 沖縄/「月ぬかいしゃ」(八重山地方)
13 東京/「板橋の棒うち歌」(板橋区

〈ゲスト参加ミュージシャン〉
あだち麗三郎/伊賀航/歌島昌智/大熊ワタル/音無史哉/折坂悠太/
小林うてな/近藤達郎/チェ・ジェチョル/やぶくみこ/Altangerel Undarmaa

録音技師:葛西敏彦(M2,3,4,5,6,7,8,9,13)、奥田泰次(M1,2,7,10,11,12)、古市暁大(M11)
整音技師:奥田泰次(studio MSR)、風間萌(studio Chatri)
録音場所:STUDIO Dede、サウンド・シティ、Place Kaki、studio MSR

Special thanks:
高嶋敏展/TOPPING EAST/石橋星志/豊島吾一/山下櫻子/
村口栞理/湊川真弘/森千尋/宇野瑠海/瀧口幸恵/寺尾恵子

イラストレーション:古山フウ
デザイン:TAKAIYAMA inc.

A&R:清宮陵一 

BASE :https://sahoterao.thebase.in/
Linkcore:https://linkco.re/84y3gD39
Bandcamp:https://sahoterao.bandcamp.com/album/-